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第五十六回 加古川宿界隈を歩く22
第五十七回 加古川宿界隈を歩く23
第五十八回 高架下の供養仏
第五十七回:加古川宿界隈を歩く 23―龍泉寺A―

龍泉寺が「加古川町寺家町(じけまち)字(あざ)蔵屋敷」に鎮座していた土地の話しです。現在の大型商業施設の一画になります。山号の「一鱗山」に因む伝説は、『加古川市誌』第一巻や1974年に市の教育委員会が発行した『郷土のはなしとうた@』などに紹介されています。
 昔の話です。付近に大きな池があり、大蛇が住んでいたと伝わっています。田畑を荒らしたりして人々を困らせ苦しめていたので、被害を受けないように、毎年村人は「くじ引き」で決めた若い女性を人身御供にしてきました。
 あるとき、諸国を修業していた僧が池のほとりで、18歳ぐらいの娘を囲んで両親や近隣の人々と最後の別れを惜しんでいる光景に出会いました。どうしたのですか、と理由を尋ねて詳細を知ったのです。
 気の毒に思った僧は、結果は分かりませんが拙僧に任せて下さい、と娘をはじめ皆を家へ帰させたのです。堤に立つと、静かに念仏を称えはじめました。当初は何ごとも無い状況でしたが、一変したのは真夜中になってからでした。上空には暗雲が立ち込め、雷鳴と共に激しい大雨が降って来たのです。池面は大波がうねり、主が現れたのです。娘を期待していたのに違っていたから荒れ狂いはじめたのです。ならばと、僧をひとのみしようと襲いかかりました。
 念仏を称え続ける声は次第に大きくなり、手にしていた念珠を大蛇の頭めがけて打ち据えたのです。気迫に恐れをなしたのでしょうか、法力に当てられたのでしょうか、池中へと潜り込んでしまいました。再び浮上して襲いかかって来るのではないかと、まんじりともせずに念仏を称えながら一夜をあかしたのです。
 旅僧の身を案じた村人は、東の空が白みはじめるころ池畔へやって来ました。大蛇の餌食になっているだろうと心配していましたが、無事な姿を見るなり村人の口から安堵の言葉が出ました。
 次の夜にも同じ行動をしたのですが、昨夜とは違い静かな波で何も起こりませんでした。翌朝になって池面に醜い大蛇の屍が浮き上がって来たと言います。
 村人は旅僧に留まって欲しいと願い、池畔にお堂を建てました。鎌倉時代の文永11年(1274)のことです。旅僧は、のちに浄土宗西山派の本山・禅林寺の法主になられた観智上人でした。大蛇が縁で「鱗」の一字を取り入れた山号の「一鱗山」と共に「龍泉寺」と名付けられました。

善光寺

「善光寺」と刻む石柱

                                        20170505 岡田 功(加古川史学会)