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第五十五回 加古川宿界隈を歩く21
第五十六回 加古川宿界隈を歩く22
第五十七回 加古川宿界隈を歩く23
第五十六回:加古川宿界隈を歩く 22―龍泉寺@―

  加古川宿の寺家町(じけまち)通商店街から西国街道(山陽道)を東方へと進みます。南流の庄内川、「胴切れ地蔵」を過ぎると、平野集落に入ります。
 静かな佇まいが続く街道沿いの北側に鎮座する龍泉寺が見え、門を入ると正面の本堂が眼に入りました。石を五つ積んだ塔、五輪塔へは、左手に鐘つき堂があり後ろの塀際に建っています。
 全体の高さは約1.8mに対し、横幅が約0.8mもあるところから、どっしりした重圧感があります。基壇はないものの、名称は下部から地輪(基礎)・水輪(塔身)・火輪(笠)・風輪(請花)・空輪(宝珠)とそれぞれ呼ばれています。
 水輪(花崗岩)のほかは龍山石が用いられており、別の水輪を組み合わせていると考えられます。笠や請花など全体に風化が著しく、基礎の東面に刻まれている「安永三年(1344)甲申閏二月一日」の年号や「法界衆生、平等利益、大勧進沙弥定連……」などの銘文が彫ってあるそうですが、読み取れなくなっています。
 もともと五輪塔は、境内の片隅にはありませんでした。1980年に市の教育委員会が発行した『加古川市の文化財』によると、寺院より300m西方の街道沿いに位置する丁字路で祀られていたとありました。昭和10年(1935)ごろに、道路拡張に伴って寺院の境内へと移転、とも記しています。
 龍泉寺は、鎌倉時代の文永11年(1274)に開基したとされ、勅願所であった寺院も、もともとは加古川宿の北側、現在の大型商業施設の一画にありました。
 『加古川市誌』第一巻によれば、「加古川町寺家町字蔵屋敷」にありましたが、明治44年(1911)6月12日、火災に遭いました。大正5年(1916)8月7日には、工場敷地の一部となったため、平野の末寺であった善光寺の敷地へと移転しています。
 現在、境内の本堂西横にお堂があり、前に建っている石碑には「善光寺」と刻まれています。
 寺院は天正年中(1573〜89)兵火に遭い、のちに姫路城主・池田輝政の寄付などで再建されたといいます。江戸時代の元和5年(1619)には寺領4石とあり、安養寺、珠養軒などの塔頭をはじめ、末寺には善光寺、観音寺(篠原町)、福林寺(溝之口)、新福寺(旧加古川村、現在の本町)などの寺名が記され、大きな勢力を持った由緒ある寺院であったとわかります。                 20170505 岡田 功(加古川史学会)

五輪塔

龍泉寺 本堂