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第五十四回 平荘湖B
第五十五回 加古川宿界隈を歩く21
第五十六回 加古川宿界隈を歩く22
第五十五回:加古川宿界隈を歩く 21―胴切れ地蔵―

 JR加古川駅の南方、県の総合庁舎(通称・かこむ)の北側を東西に走る西国街道(山陽道)を東方へ進むと、駅前から市役所へと延びる広い道路を横切り水路を渡ります。庄内川と呼ばれ南流しています。交差する北東沿いの周辺は煉瓦壁などの風景を残している一画があり、木々で囲まれたなかにお堂が建っているのが見えます。
 覗くとお地蔵さんが祀られています。堂内は手入れが行き届き花などが手向けられていました。近隣の方が日ごろからお世話しているのでしょう。そばの立札によれば、「胴切れ地蔵」とも記され、石棺材を使用してつくられたと思われる、とありました。状況は前掛けで分かり難いので、後ろ側へと回り確認すれば、石材の折れているのがはっきりと伺えます。
 折れているお地蔵さんにまつわる伝説が残っています。武士の世のなかであった江戸時代の話です。九州などへの往来で重要な街道のひとつで、各地の諸大名が通っているときに事件は起こりました。
 近くに住む若者は何か考えごとをしていたのでしょうか、うかつにも参勤交代の行列を横切ってしまいました。遅かったのです。「あっ」と思う間もなく、一行の侍が抜いた一刀両断で、若者の胴体が真っ二つになってしまいました。いわゆる「無礼打ち」です。
 どれぐらいの時間が過ぎたでしょうか。死んだはずの若者は、気を失っていたかのように、ふと我に返ったのです。慌てて身体の切られたはずの胴を確認しましたが、傷跡もなく今まで通りの状態で生きていたのです。
 何だか不思議な面持ちで周辺を見渡していたら、近くのお地蔵さんの異変にびっくりしました。胴体が切れていたからでした。身代わりになってくれたと気がつき、地蔵さんに深く感謝したといいます。
 「胴切れ地蔵」は、江戸時代に書かれた『播磨鑑』にも見えています。「甘草首塚」の見出しで「世人尼子妙林塚」と記載されているものの、詳細はありません。遠藤秀男著『日本の首塚』のなかでも「首塚」のひとつとして紹介しています。
 周辺の駅前再開発地域では、次々と新しい建物が目立つようになると、古い佇まいが少しずつ消えつつあります。環境は随分と様変わりしました。時代は変わっても、お地蔵さんを安置するお堂を建てているように、地域の人々によってこれからも守り継がれていくでしょう。
                  20170425 岡田 功(加古川史学会)

胴切れ地蔵

後ろからの様子