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第三十一回 加古川宿界隈を歩くA
第三十二回 加古川宿界隈を歩くB
第三十三回 加古川宿界隈を歩くC
第三十二回:加古川宿界隈を歩く B ―境界石―

 国道2号線加古川橋東詰から、西国街道(旧山陽道)の本町通りを東方へと歩き始めました。通りの南側、進行方向の右手には赤い四角の郵便ポストに黒い文字で「〒」印と共に「加古川134」が貼られているのが眼に届きました。何気なく下側の建物との間を見ると、頭を十字に刻む小さな角柱石がありました。何だろうと傍により覗き込んでみると、「郵政」と記され下側にもあるようですが、残念ながら地面に埋まり続きが判りません。
 「郵政省」と推測するものの、頭の十字は境界線上に設置される場合が多くあります。民間の事務所ビルの敷地ですから、まさかポストのために石柱があるとは思えません。念のため南側の路地を少し入ると、電柱横に十字の入った同じ石柱が建ち「郵政省用地」と刻まれているのが判りました。
 郵政省の敷地を示す「境界石」三カ所とポスト以外に関連するものは何も見当たりません。不思議なので近くに住む古老に尋ねたところ、「調べておきます」との返答があり、後日には詳しくまとめられた一枚が届けられました。
 敷地には明治29年に創立の「加古川銀行」があったようです。どのような建物であったのかを調べていると、昭和55年刊行の玉岡松一郎編集による『ふるさとの想い出写真集「明治大正昭和・加古川」』のなかに大正12年ごろの写真が掲載されているのを見つけました。とても立派な石造りの西洋建築です。
 用紙に年表が掲載されていました。昭和3年には「三十八銀行」に買収され、西出張所となります。同7年ごろの住宅地図にも「三十八銀行西出張所」として載せられ、同11年には7銀行の合併で「神戸銀行」になりました。ほかにも、当時遊んでいた子供のころの、銀行周辺での建物にまつわる話しと共に変遷も書かれてありました。
 建物がそのままで引き継がれるのですが、継続して使用されたのにはやはり石造りの立派な建物であったからでしょう。昭和16年には「加古川郵便局本町分室」として開設され、ようやく境界石に刻む「郵政省」との関わりが綴られていました。
 残念ながら昭和33年には廃止されたものの、建物がいつ壊されたのかは分かりません。70年近くの長きに渡って使われ、地域から親しまれてきたのですが更地になってしまいました。ただ、境界石だけは土中奥深く埋っていたために掘り出せなかったようです。跡地は百貨店から現在の事務所ビルへと移り変わりましたが、残されていた小さな石柱のおかげで明治から昭和の中ごろまで存在した西洋建築を知ることができました。
                       20130222 岡田 功(加古川史学会)



現在の加古川本町通り

境界石