日岡山公園Fan            日岡山展望台より

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第三回:新井疎水(しんゆそすい)

 日岡山展望台から南東の方向を見ますと、印南野(いなみの)台地西端のすそを水路が走っているのが窺えます。「新井疎水」と呼ばれています。
 近年、南の山すそから加古川バイパス付近までの土手を「緑道」として整備されたからでしょうか、休日ともなれば自らのこれからを考えて散歩をされる方が増えています。7月中ごろでしょうか、朝7時前というまだ早い時間帯に何台かの軽四輪トラックにすれ違いました。道路脇に駐車した男女数人が水路へと入って行かれる姿に出会ったのです。何をされるのか観察していましたところ、流れの邪魔になる草や枯れ枝、ゴミなどを取り除かれていたのです。
 東播磨地域は、古くから降雨量の少ない土地でした。「加古川」という一級河川のそばにありながらも、遠くの上流に水門を設けなければ引けないのです。特に、加古川から明石川の間に広がる広大な印南野台地では、田畑に必要な水量を確保するため、古くからたくさんの溜池(ためいけ)が各地に造られてきました。
 江戸時代のはじめでした。旱魃(かんばつ)で一粒の米も獲れないうえ、大雨が小さな河川に流れ込み洪水にもなったのです。見かねた大庄屋の今里伝兵衛(いまざとでんべえ)は、安定供給を願い綿密な計画や調査をされ、周辺の村々にも協力を依頼しました。2年3ヵ月の歳月、延べ16万人余りが作業に携わり約14qを、明暦2年(1656)に完成させたのが「五ヶ井(ごかゆ)」に対しての「新井疎水」なのです。
 米食離れや植えられていない田圃の増加、高齢者による農作業、兼業農家など、いろいろと伝わってきますが、従事する方たちにとっての水は大切な命と同じでもあります。不足すれば枯れ果ててしまい、収穫できないからです。以前に聞いていました話しがあります。田植えがはじまる前の5月下旬、取水される上流の水路を一斉に清掃されているのです。疎水では、植えたあとも定期的に行っているとは知りませんでした。偶然、目にした共同作業は、維持管理のため今後も続けなければならないのです。
 祖先から水の大切さを受け継ぎ、日々の地道な努力で守り継がれて来られたからこそ、今日の疎水があるのでしょう。一部の区域ではありますが、自然の恵みと風景が残されたのです。多くの老若男女も自らの健康の自己管理を意識される中で、堤防を往き来しながら散策を楽しまれていました。     
                            20100928 岡田 功(加古川史学会)

 新井疎水沿いには、新井緑道という散策路が整備されています。歴史と自然を感じながらのんびりと散策が楽しめます。加古川市制60周年を記念して選定された「わがまち加古川60選」にも新たに選ばれており、例年加古川ツーデーマーチのコースにもなっています。