教養講座  平成26年7月25日(金)  加古川市北公民館 大ホール

ブラジルを知ろう

            〜 国 旗 ・ 食 事 ・ 日 系 社 会 〜


                
                 講  師  :  久 保 咲 子 氏



     
  講師のプロフィール

  * 日系社会青年ボランティヤ

 *  2010年〜2014年
         ブラジル派遣


 
*  日系日本語学校講師



     ブラジルでは従来アフリカ大陸からの奴隷をコーヒ園などの農業労働者として重用していたが奴隷廃止
     制度で農業労働者が不足した。日本とブラジルとの間でには正式な外交関係がないため移民を送り出す
     ことが出来なかった。その後正式な外交関係ができ、1908年以降移民を送り出す旨の契約を締結し、
     日本全国 で家族単位での移民を条件に「高待遇・高賃金」を「うたい」、数年間の契約労働として募集を
    した。この間にお金を貯めて帰国する予定で申し込みをした。しかし、実際は「待遇」・「賃金」の悪さから
     「帰国の申し入れ」・ 「ストライキ」・「夜逃げ」等が多発した。従って日本人同士で資金を出し合い、農地を
     取得し、「植民地」という「農業組合」を形成し、「綿」・「胡椒」・「お茶」・「野菜」等を生産をしい「サンパウロ」
   を中心に日本移民向け 等の商店・工場等が出来発展をして行った。1951年に移民再開となり現在
     160万 人となっている。2世・3世 は勤勉さと・教育程度の高さから社会的地位の高い職業について、
     経済界・ その他広範な分野で貢献している。


                      ブラジルを知ろう

 
 ブラジルについての講義


国旗から学ぶブラジル

   
朝食・コーヒ  水曜日の昼 食
   
 夜の食事 市場の肉屋さん 


数字で見るブラジルの日系人について

   
現在の移民人数   神戸港から第1回目の移民船出港日(笠戸丸)
   
当時の所要時間  現在サンパロウ大学の学生比率 
   
勤勉さ・教育の高さ等から信頼されている  カルチヤーショックだった言葉