暗闇の中で男は目を覚ました。瞼を上げる、その少し前からのことだったが、全身の関節のそこここが痛んだ。年甲斐もなく激しい運動をして、筋肉痛を得てしまったような、不愉快な目覚めだった。
「起きたな」
そしてそれをさらに助長する、不遜な声が彼に降り注いだ。まだ若い、変声期の後半にあたる程度の、少年の声に聞こえた。恐れを知らないようなそれに、男は反感を持った。彼は、生意気な若造という存在が、この世の何よりも嫌いだった。
「まず聞くことがある」
まるで上から叩きつける調子だ。それは、拒否権がないことを知らせるようだった。男はますます、不快感を募らせる。質問などに、絶対に答えてやるものか、と思った。
「この建物の警備はどうなって…」
「あんたたちはこの建物に、どういう目的で在駐しているんだ」
もが、という不鮮明な声とともに、もうひとつ、新しい声が聞こえた。こちらは、先の声よりさらに若い、少年特有の高い声だ。もう少し柔らかな声質であれば、少女と思ったかもしれない。しかしその声は随分と尖った、険悪なものだったので、勘違いは起こらなかった。
男の視界は真っ暗で、どうやら何かで覆われているらしかった。生来寒さに弱い彼は、転がされている床から服の中に入り込む冷気に震えた。毛布でもなんでも、身を覆うものがほしかった。しかしもちろん、寒さをしのぐものがかけられるはずがなかった。
彼は今、虜囚だった。それが、一点の曇りもない現実だった。
しかし、ぼんやりとしていた彼は、それを忘れて、いつもの調子で言った。
「――おい、寒いぞ」
男がぼんやりしている間に何事かを小声で言い争っていた二人は、まったく同時に、ぴたりと口を閉じた。
数秒、沈黙がその場に横たわった。
その短い間に、男は、自分の言動を反芻し、そして青ざめた。それが失敗だったとわかる程度には正気だったのだ。
彼の顔色の変化は、両眼を覆う布によって隠されたが、それは彼にとって幸いにも、不幸にもならなかった。彼の顔色は、彼を縛り上げた当人たちに、なんの影響も及ぼすものでもなかった。
何か言う前に、男の腹に衝撃が走った。
「ぎゅっ!」
男は潰された蛙のような、屈辱的な悲鳴を上げた。
それだけでは終わらず、言葉のないまま、十数度、鈍い痛みが内臓を刺激する。肋骨のすぐ下を掠めるように蹴られて、最下の骨が嫌な音を立てて軋む。男はその都度、短い悲鳴を上げながら、身を丸くした。
「それくらいにしときなよ」
加害者に、呆れたように宥めの言葉がかけられたのを、薄れかける意識で聞く。
「自分だって、いつもそんなようなものじゃないか。つまらない八つ当たりしてないで、さっさと終わらせてくれる?」
「俺はここまでひどくない…たぶん」
「了解、坊ちゃん。ところで、迅速にと言ったのが自分だということ、思い出させてほしい?」
しばらく黙って爪先を腹に埋めてから、男に暴力をふるっていた人間は、ようやくそれを止めた。
「わかったよ」
ひどく不満そうな声だったが、その気配は静かに去った。男は安堵の息を吐いた。
だが、安堵するにはまだ、早すぎたようだった。
「さて、じゃあ質問に答えてもらおうか」
その言葉に、男は眉を寄せた。言われた「質問」とやらに覚えがなかったからだ。
何も答えない彼をどう思ったのか、再び嫌な気配が近寄る。男は慌てて口を開いた。
「何を聞きたいって?」
「――…おまえたちが、ここに駐留する理由だ」
呆れたような響きが声に混じり、男は内心憤慨した。しかし、今、彼にそれを面に表すことはできない。
「知らんな」
だから、正直に答えた。
きっちり二秒後、今度は腕に衝撃が走った。両手首はすでに後ろ手に拘束されていたが、その右の前腕部だけにじわじわと、折れそうな力が加えられる。靴底についた土がざらざらとした感触を伝えた。男は今まで、骨折など経験したことはなかったが、その圧力は彼に、骨への罅の恐れを抱かせた。肘にまで達する痺れがどんどん重くなっていく。
腹から絞り出すような呻き声が断続的に漏れた。
明らかな八つ当たりだ。しかし、男にそれを指摘する自由は与えられていなかった。
「だから、八つ当たりはやめろって」
再び嘆息混じりの声が聞こえるまで、その苦悶は途絶えなかった。
ふっと圧迫が消え、男は咳き込もうとした。しかし、一度果たしたところで、その膨らんだ喉を足で押さえられる。行き場を失った衝動が、喘鳴になってこぼれた。
「大声を出したら、このまま踏み潰すことにしよう」
ふと思い出したかのように、何気なく言われた。まるで、本当はどちらでもいいのだと言うような調子だった。その響きに、男は心臓が凍えるような心地になった。
同時に、ゆっくりと、再び圧力がかけられる。男は声を出さず口を開閉させ、恭順の意を示した。心の隅で、先ほどもあんな風に蹴ったりしなければ悲鳴など上げなかったものを、と呟きはしたが。
その考えを読み取ったかのように、去り際にきつく喉を踏んでから、靴底は元の位置に戻ったようだった。
しばらく必死で息を整えてから、男は口を開いた。
「……我々は、もともと、ここにいた。ずっと」
「この砦を守っている、ということか」
「そうだ」
彼の父や祖父、それよりさらに以前から、この砦は彼らの土地だった。
「そんな上等なものか? ここは」
嘲る言葉に、男はひくりと頬を引きつらせた。それは、今までこの地を守り続けた彼のすべての血族に対する侮辱だった。だが、それを撤回させる力を彼は持たない。ぎりりと奥歯を噛み、男は次の質問を待った。
「お前は昨晩、街道を走っていたな。なぜだ?」
「何…?」
男は眉を寄せ、そして、ここに至ってようやく思いついた。この誘拐者たちは、彼が昨晩見た煙を起こした者たちだったのだ。
自分は正しかったのだ。野営者はいた。どうだ、と、今朝自分を馬鹿にした全員に言いたかった――もちろんそんな状況ではないのだが。しかしその甘美な妄想は、男に微々たる量ではあるが、余裕を取り戻させた。
「…近隣の村落に出向いた帰りだった。そこに妻がいるのだ」
「なら、なぜあんな時間に、帰ってきたんだ」
この問いに、男は怯んだ。それは彼の心の問題で、おそらく、尋問する側の求める情報に関係のない答えしかできないだろう。
結局、彼は言葉を濁して、あながち間違いではない答えを返した。
「…急いで帰る必要があったのだ。武人たるもの、常に戦いの準備を怠っていられないからな」
「――戦いの準備」
それだけ言って、声は黙った。