傾国

漆黒

2017 a.t.b 18/03 14:22

 彼の荷物が運ばれていく。
 初春の寒々しい風にさらされる、内装にふさわしくなかった無骨な寝台、昔から使っているという古い箪笥、汚れの少ない机。ルルーシュも何度も座った小さな椅子が、トラクターの荷台に載せられる。手際よく固定され、動きを止めた。その上に幌が被せられる。
 助手席の前に立つ身なりのいい男が、無表情に確認した。
「クルルギ氏の荷物は、これですべてですね」
「…そうだろう。何か不足があれば、連絡をよこせばこちらから送るようにすると、ス…コーネリア殿下にお伝えしろ」
「畏まりました」
 どこか嘲るような口調で、軍人は一礼する。おまえにそのような偉そうな口を叩く権利があると思っているのかと、そう暗に伝えてくる。
 ルルーシュは震えそうになる声を抑え、低く労った。
「ご苦労だった」
「コーネリア殿下のご下命ですから」
 畑違いの仕事に不満を感じる様子はない。むしろ格下の相手に声をかけられるのが不愉快だとでも言うように、男は素っ気なく答えた。
 男に対する感情ではなく、もっと別のものから、ルルーシュはそれ以上は何も言わず、身を翻した。背後で男の感情が悪化するのを感じたが、無視した。
 邸内に入り、階段を上る。踊り場に足をかけたところで、トラクターが急発進する音が聞こえた。一度、足が止まったが、未練を振り切るように、残りの段を大股に越す。
 そう広くはない屋敷の中の、もっとも東の、朝日が一番に入る部屋の扉は、開いたままになっていた。その扉に手を触れられず、狭い隙間に、ルルーシュは身を滑り込ませた。
 数日ぶりに入ったその部屋には、もともと据えつけられていたもの以外、持ち込まれたものは取り払われて、がらんとしている。残ったのは、壮麗な窓枠や、備えつけの小さなテーブルだけだ。どこかちぐはぐな、あの暖かさはもうない。
 主をなくした部屋で、ルルーシュは唇を噛んだ。

 ルルーシュ・ヴィ・ブリタニアは、神聖ブリタニア帝国の第十一皇子である。第十七位の継承権を持っている。現皇帝には庶子を含めて百人以上の子供がいるということを考えれば、低いということはないが、決して高いわけでもなかった。高位継承者の列に加わるには第十一位までの継承権が必要であり、ルルーシュがそこに入るには、血統書つきの皇子皇女たちを蹴落とす必要があるのだ。
 だが、庶出の皇妃の子で後ろ盾も心許ない彼には、まず政争に参加する力と権利が与えられない。
 そのため、彼は、士官学校に入学した。皇族にも貴族にも媚びることをよしとしないのならば、力がすべてのこの帝国で、華やかな武勲を立てる以外に、彼には出世の方法はなかったのだった。
 軍内では、科の選択範囲が広まる以外では、実家の格差はほとんど考慮されない。それは、現皇帝が、侵略戦争を好む上に、弱肉強食を旨としているからだ。また、第二皇子や第二皇女の継承順位は、軍部への影響力が作用している。その関係で、現在、軍の上層部は皇族におもねる傾向があった。その人事に、皇妃をはじめとした貴族が、嘴を入れることは難しい。
 そして幸い、貴族の門弟のために開かれた高等戦略科には、ルルーシュの苦手な格闘系の単位は必要ない。戦略や戦術、事務処理の才に長けたルルーシュは、次席以下を数馬身引き離した好成績を収めた。彼がただの貴族であったなら、その成績を鑑みて後方支援か戦略科に配属され、いずれは実力主義者の第二皇子や第二皇女の目に止まり、彼らの参謀室にでも回されることになっていただろう。
 しかし自身も皇位継承者の端くれであるルルーシュには、卒業に際して、一つの権利が与えられた。
 卒業後すぐに、一個小隊を任されるというものである。
 士官学校に在籍していたことのある第二皇子や第二皇女の一個師団や、戦争の指揮を義務とされた幾人かの皇子たちがまず与えられた一個大隊という権利からすれば、取るに足りない規模である。しかし、ルルーシュに否やはなかった。一兵卒として始める必要がなければ、それでいいのだ――そこから成り上がることは、さすがの彼にも困難だろうので。
 彼は、配属を決定するに当たっては、その与えられたささやかな権限を最大限に利用した。目星はつけていてもコネのない副官やその他には、さすがに手の回しようもなかったが、その隊の一等兵のリストには、枢木スザクの名があった。
 スザクはルルーシュの友人だった。
 八年前、ルルーシュは、母親であるマリアンヌ皇妃を亡くした。パーティの最中に起こったことで、元々は軍籍にあった彼女に恨みを持つ者の仕業であるとか、ブリタニアに故郷を侵略されたテロリストの仕業であるとか、様々な流言が行き交ったが、はっきりしたことは今でもわかっていない。
 ルルーシュに突きつけられたのは、その事件で、彼の妹が歩行能力と視力を失ったという現実だった。
 まだ幼い妹の回復を図るには、どこか権力から離れた場所で静養する必要があった。しかし、母を失った兄妹は、身動きをとるどころか、明日の生活さえ保障されなかった。生活していた離宮も、皇妃たちの采配と、おそらくは皇帝の黙認の上で追い出された。マリアンヌの後ろ盾を務めていたアッシュフォード家は、放り出された兄妹を保護し、資金援助をしてくれたが、その環境にも、爵位を剥奪された醜聞以降、次第に不穏な空気が漂うようになった。
 ルルーシュは、父である皇帝に謁見を申し入れたが、数分間で、必死の抗弁はすげなく却下された。
 そして兄妹は、当時侵略の対象予定となっていたある惑星に送られることになった。その理由はもちろん、9歳の子供に治世を命じたわけでも、ましてや療養のためなどでもなかった。そこで殺され、侵攻の足がかりとなれという、命令だった。ルルーシュは激昂したが、逆らいようがなかった。アッシュフォード家は、黙って二人を送り出した。
 そうして寄る辺なく、風光明媚で知られるニッポンという小さな惑星に妹とともに降り立ったとき、彼らに当面の身の置き所をつくったのが、枢木家だった。
 枢木家は、幼い兄妹に、決して居心地のいい場所ではなかった。しかし、スザクだけは別だった。
 一年に満たない滞在の間に二人は友誼を結び、後にルルーシュがとある植民惑星の治世システムについての奏上を認められ、屋敷と職場を下賜され本国へ帰還してからも、親交は続けられた。
 それから三年後、ブリタニアがスザクの郷里を攻め、植民星化した後もだ。
 ニッポンの首長の嫡男だったスザクは、人質としてブリタニア本国に送られてきた。責任者として名乗り出、ただ一人で青ざめて出迎えたルルーシュに、スザクは苦い笑みで応じた。
 以来、彼はルルーシュの屋敷に滞在し、彼と同じ士官学校に通っていた。といってもルルーシュとは違う、一般科である。
 もともとニッポンで独特の武術の修練を積んでいたスザクは、格闘訓練では一際優秀さを示し、生粋のブリタニア人の面子が潰れるような好成績を見せた。頭の固い教官たちでさえ、今期、騎士にもっとも近いと褒めそやしたものだ。
 彼はサクラダイトとの適合率が異常と言われるまでに高く、知識については言語の差違もあってか未熟だったが、ナイトメアの操縦にかけては右に出る者がいなかった。同年代では、スザクと同じく卓越した運動神経を誇るカレン・シュタットフェルト・紅月が五分の勝負を演じることができたが、戦場ではおそらくスザクが一歩秀でているだろう。
 ルルーシュは、スザクが誇らしかった。彼の功績は自分の功績ではないとわかっていたが、それでも、友人が認められていることが嬉しかった。
 そのことに苛立ちをおぼえたのは、ただ一度だけだった。配属決定の際、真っ先にスザクを登録しようとしたところ、彼が多方面から引く手数多で、ルルーシュの希望が完璧には通されないだろうと判断されたときである。
 そういった場合、多少は本人の希望が優先されることは知っていた。しかし、ルルーシュはスザクの意思を聞くのを恐れた。彼は、スザクに、配属のことを相談していなかったのだ。何を勝手なことをしているのかと、不快な顔をされたら、どうしたらいいのかわからなかった。
 ぎりぎりまでねばった挙げ句、ルルーシュはどうにか、自分の下に配属していいかと、それだけを本人に確認した。ずるい訊き方だった。スザクには、自分が求められているという情報を知る術がない。植民惑星出身の彼には、自分のデータを参照する権利が与えられていないのだ。
 スザクは不思議そうな顔をしてから、わざわざ確認せず、都合のいいようにしてくれ、と笑っていた。彼からサインを受け取り、ルルーシュは、すましてその書類を提出した。本人の承認がある登録は、他の条件と比較した上で折り合いがつけられたと見なされ、今度はすんなりと通った。スザクが妹と喜ぶ姿を見て、良心の痛みは安堵にすり替わった。
 そしてつい先日、二人は配属部署の内定をもぎ取り、そろって卒業した。

 枢木スザクを妹の騎士に取り立てたという、第二皇女コーネリア・リ・ブリタニアからの通達があったのは、卒業式典から三日後の昼だった。
 そのときスザク本人は、別星域の、ある研究室に赴いていた。彼は、士官学校に残してきた諸々の輝かしい成績によって新型艦のテストパイロットに選ばれ、破格の待遇として一艦を借り受けることになったのだ。その手続きのために、朝早くから出かけていた。
 ルルーシュは、夜更かしがすぎて起きたばかりだった。前晩、友人のささやかな祝いのうちに、酒を過ごして寝込んだのだ。起きたときにはスザクはすでにおらず、みっともない姿を見せたと恥ずかしく思っていたところに、その一方的な通達が来たのだった。
 コーネリアの連絡は、すでに決定事項のように扱われていた。スザクの軍籍を移したこと、彼の身柄引受人を変更する手続きを要求すること、転居の采配も済ませてあり、荷物の手配は一週間以内に業者と自分の騎士を一人よこすことなどが、簡潔に記されていた。
 ルルーシュは慌てて、スザクに連絡を取ろうとした。しかし、彼の個人回線との通信は繋がらなかった。次いで新型艦の製造責任者に問い合わせると、人を莫迦にするような甲高い声で、新型艦ランスロットは第三皇女ユーフェミアを乗せてすでに出航したと伝えられた。連絡先を教えてほしい、という申し出は、機密ですからという一言に却下された。
 その艦のデヴァイサーの主だと主張しようとして、ルルーシュは声を詰まらせた。
 それは、ただの約束だった。
 スザクは、ルルーシュの騎士になると言った。ルルーシュは、ずっとそのつもりだったからこそ、小狡い真似をして、彼を手元に置いた。
 しかし、その誓いはただの子供の約束――スザクは忘れているかもしれないくらい他愛ない口約束で、彼の言質を取ったわけではないし、いまだ正式な主従の契約は行ってもいないのだ。
 どうやって通話を切ったのか、ルルーシュは覚えていない。

「お兄さま?」
 気がつくと、開いた扉の向こうに、妹がいた。伏せた瞼の奥から、こちらを窺っている視線が感じられる。ルルーシュは部屋を出て、車椅子の背もたれに手を掛けた。
「ナナリー」
「スザクさんの部屋…荷物、運び終わったのですか?」
「ああ」
 頷くと、ナナリーは肩を震わせた。控えめなフリルがついたブラウスに、浅黄色のワンピースを纏っている。スザクが選んだ品だ。妹は、それを好んで選ぶことが多い。秋が終わる際まで愛用し、冬が終わるとすぐに箪笥の奥から出して、まだ肌寒いうちから身につけるほどに。
 両手を二の腕に回し、小さな身体を抱きしめるようにして、彼女は呟いた。
「…寒い」
「そんな薄着をするからだよ」
 ルルーシュは苦笑を浮かべた。自分が羽織っていた上着を脱いで小さな肩にかけようとすると、彼女は首を振った。
「違います、…スザクさんがいないから」
 息を呑んで、ルルーシュは妹の顔を覗き込んだ。眉尻を落として、ナナリーは兄の気配に話しかけた。
「どうして、スザクさん、行ってしまわれたのですか? 配属は違ったけれど、ずっと一緒にいるって…」
「ナナリー、」
 できる限り柔らかく呼びかけて、それから少し言葉に迷い、ルルーシュは目を伏せた。彼女が求めている答えを返せない自分が情けなかった。
「スザクだって、ここに、なんの目的もなくいたわけじゃない。ニッポン…イレブンの地位を少しでも向上させるには、俺たちのような継承権の低い皇族についていても、仕方ないからな…ユーフェミア、殿下は、第三皇女で、皇位継承権は第八位だし、何よりコーネリア殿下の後ろ盾がある。しかもはじめての騎士だということだ、さぞ出世できるだろう。…これでよかったんだよ」
「でも、スザクさんは、お兄さまの騎士になるんだと、私は…」
 ナナリーの声は次第にか細くなっていった。言い切れず、黙り込んでしまった彼女に、胸が痛む。
 それは、スザクがにわか契約の言葉を口にして以来、ルルーシュと二人きりのときだけ、妹が口癖のように言っていた言葉だった。小さなころのようにはしゃいで、冗談に紛れさせてスザクの言葉を繰り返す彼女を、ルルーシュは微笑んで見守っていた。
 ルルーシュも、ずっとおぼえていた。スザクが、彼の騎士になると言ったことを。
 三人で、外へ出かけたときのことだった。公園の花壇を見下ろして、屋敷にない花をそっと探っているナナリーに、寄り添うように二人してしゃがみ込んでいた。そうして何かの弾みに、スザクは、ルルーシュの騎士になるから、と言ったのだ。それから少し冗談めかして、仕事の帰りで長い外套を身につけていたルルーシュの、その地面に垂れた黒い布の先を拾い、口元に寄せた。騎士の契約の仕草だった。
 驚いてそれを払い、ルルーシュは表面では皮肉に笑い飛ばした。口早に、自分よりもナナリーの騎士になるように言うと、スザクはまたそれかと笑い、ナナリーも声を出して笑った。
 しかし実際は、ルルーシュは、泣きそうになるほど嬉しかった。本気でないにせよ、彼がまだ自分に友情を感じているのだと思えたし、自分の生まれた国が彼の故郷を蹂躙したことを、――そしてきっとスザクも察しているだろうルルーシュの罪を、すべてではなくても、許されたような気持ちになった。
 もしそれが許されるなら、いつかスザクを騎士に取り立てるつもりだった。戦場で武勲を立て、高位継承権を手に入れ、彼と、彼の故郷に報いたいと思っていた。
 だがスザクは、もっと早い道を選んだのだ。彼にその道を提供できなかったルルーシュには、何も言うことはできなかった。そもそもルルーシュは、彼の保護者ではあったが、主ではなかったのだ。
 ――あのとき、笑ったりせずに。
 もっときちんと礼を言って、あの中途半端な誓いを奪っておけばよかったのだろうか。そうすれば、こんなことにはならなかっただろうか。
 ルルーシュは瞼を伏せた。
「…もう、スザクさんに会えないんですか?」
 兄の沈黙に、ナナリーは悄然と肩を落とす。
 高位継承者の騎士は、低位継承者からすれば、格下と呼べるのは形式上だけのことだ。皇位継承権第八位のユーフェミア・リ・ブリタニアの騎士となるスザクは、今すでに、ルルーシュよりも自由な権力を持った。さらには、正式な騎士ともなれば、何をするにも仕える主の許可がいる。この先、スザクがよほど積極的な意思を持たない限りは、兄妹と彼との交流は途絶えるだろう。
 妹の問いに、ルルーシュは答えられなかった。彼女の失望を感じたくなくて、口を引き結ぶ。
 黙り込んだ兄妹の周りを、窓から入る、春の湿った風が通り抜けていく。