傾国

白銀

2017 a.t.b 15/03 21:30

 立ちつくす人影は、その巨大な威容の前に、豆粒よりも小さかった。
 銀色が広がるドックの中、白は目立たない。雑種の子犬の体毛のような茶色と、僅かに色づいた青みだけが、ぽつりと存在していた。そのうちの一つが、くるりと回った。
「これが次世代の新型艦、ブリタニア製第七世代規格テスタータイプ型式番号Z-01、僕のランスロットです!」
 所有格のおかしさにスザクは気づいたが、沈黙を保った。新型艦の製造責任者であるというロイド・アスプルンドが奇天烈な性格の持ち主であるということは、案内をしてくれた彼の副官から聞かされていたし、そうでなくとも、彼は別のことに注目を奪われていて、別段気にならなかった。
 目の前には、巨大な戦艦、ナイトメアがある。
 騎士の鎧にして居城と言われるにふさわしい、流麗な姿だった。メタリックな白に金色の流線を施された広大な外殻にはほとんど継ぎ目が見あたらず、数種の砲門は目立たないように傘の陰に配置され、索敵システムらしい緑の光点が随所で点滅している。そのシルエットのなめらかさには、現在の主流である第五、第六世代の直線的なフォルムから派生したものとは思えない、なまめかしい色があった。
 スザクは思うままを口にした。
「派手ですね」
 ロイドは無邪気に応じた。
「旗艦になるんだからねぇ、きれいでしょ?」
「はい、とても」
 真面目な顔つきを保ったまま、スザクは心からそう答えた。
 目立つ分、敵に狙い打ちにされそうではあるが、しかし、もしそのような事態になっても、彼はそれをすべて避けきる自信があった。その程度のことができなくては、何のために士官学校で鍛錬に励んだのかわからない。
 スザクは目を細める。
 いずれ軍功を重ねて力を示すつもりではあったが、本来、植民惑星出身の彼には、騎士としての立場を得るどころか、戦艦を得られる可能性さえ、ないに等しかった。
 ナンバーズと呼ばれる、ブリタニアの最下層に位置する身分。ブリタニアにおいて、植民惑星の出身者は、市民登録を願い出て名誉ブリタニア人となっても、常に翻弄されるだけの存在でしかない。士官学校への入学も許されない。強制的に徴兵されて、使い捨ての駒として組み込まれるのが常識だからだ。
 しかし、友人が掛け合い、さらには同期に特例が出たということで、スザクは僥倖にも、支配階級と学舎を同じくすることが許された。騎士資格の取得も、どうにか目こぼしされた。
 それでも、本来なら卒業後、尉官階級を保障される中で、スザクは士官ではなく一等兵からの出発である。もっとも下でないだけまし、ということなのだろうが、士官学校を卒業した意味は、実質、諸々の知識を得たことと、騎士資格を取得できたこと以外にはない。底辺からでは、軍功を立てても、せいぜい小型戦闘機の部隊長止まりだろう。困難な道であることは覚悟していたから、それに否やはなかったが、焦燥を抱えていたのは事実だった。
 だが、このような形でナイトメアを得られるなど、思ってもみなかった。
 与えられたこの艦に、定めた主が乗ることを考えると、得も言われぬ疼き、おそらくは興奮が、背筋を駆け上る。外観上は平静に見えても、スザクは逸る気持ちを抑えかねていた。
 すでに確認したことだったが、彼はロイドを見て、再度尋ねた。
「あの、僕が乗って、戦場で使ってもいいんですよね?」
「そうだね、まあ、定期的に報告してもらうし、点検もするし、戦争がないときは実験につき合ってもらうけどねぇ」
「わかっています」
 そこで、ロイドは眼鏡の奥の、冷たい色の瞳を眇めた。
「壊しちゃだめだよォ」
「壊しません」
 スザクは微笑む。
「傷一つつけません」
「うんうん、いーい返事だねぇ!」
 白衣の男は、満足げに頷いた。言葉の真偽には興味がないようだった。
「まあランスロットには全方位シールドが実用化されてるし、外装は新開発のヤスダ合金を使ってるから、ちょっとやそっとの攻撃じゃ傷つけられないよぉ」
「そうなんですか」
 故郷の研究者の名を聞いて、スザクは口元を綻ばせた。
 従順な聞き手に、ロイドが愛息子の華々しい特性をさらに言い募ろうとしたそのとき、彼の元へ、先ほどスザクを案内してくれたセシルが駆け寄った。片眉を上げる彼に、声をひそめ、困惑げな表情で出入り口のほうを指す。
「あの、乗艦の修理のために寄られていた、第三皇女の一行がいらっしゃっています」
「えぇー、何でェ?」
 ロイドは副官の気遣いをまったく意に介さず、抑えもしない面倒そうな声で応じた。皇族に対して無礼にも程があるが、友人が調べたところによると、このアスプルンド研究室の裏には、現在もっとも玉座に近いと噂される第二皇子がいるらしい。責任者は彼の騎士の一人らしいので、おそらく、その程度の無礼は許されるのだろう。そして、筋金入りの研究者としては、パトロン以外の皇族には用はないらしい。
 セシルは彼を睨み、叱りつけるように鋭く、声をひそめた。
「急ぎの用件でらっしゃるそうなのですが、このままでは乗ってきた艦の修理が間に合わなくて…」
 スザクは嫌な予感に眉を寄せる。
「…それで、ランスロットに乗せてもらえないか、と」
 案の定、セシルの言葉は、彼には受け入れがたいものだった。
 スザクとしては珍しいことに、今すぐランスロットに乗って、帰りたいという焦燥に駆られる。いつもなら、ここで、何か自分にできることはあるかと尋ねているところだ。しかし、静かな興奮状態が、彼にそれをためらわせた。もっともわかりやすい感情にすれば、それは、定めた主以外に、自分の艦を見せたくないし乗せたくもないという、奇妙な独占欲だった。
 困っている他人を助けることは、スザクの気質としてはやぶさかではない。むしろ積極的に行いたいことである。しかし、今は――
 スザクは気づかれないよう、拳を握る。
「へえーぇ、いいの? 僕はテストできるんならなんでもいいけど、どうだい、クルルギ一等兵」
「はい、…自分は、問題ありません」
 ロイドの問いかけに、スザクは首肯した。
 内心では拒絶の言葉が渦巻いていたが、まさか断るわけにもいかない。第三皇女といえば、皇位継承権第八位の、名誉ブリタニア人でただの一等兵であるスザクが目通りを願うことさえ許されない殿上人である。その女性に感情のままに振る舞えば、その咎は、彼の保護者でもある友人に行くのだ。
「では、皇女殿下を案内してきます」
「その必要はないみたいだよ」
 踵を返そうとしたセシルに、ロイドが素っ気なく、尖った顎を動かした。すでに出入り口には、皇女の一行らしきスーツ姿の一群が辿り着いていた。スザクは顔つきを改めて、斜め前で足を止めたセシルと同時に敬礼した。
 顔を上げて彼らを見つめ、その中に既知の色を見出して、彼は思わず呟いた。
「あれ、さっきの」
「あ…あなた」
 相手も、青に近い紫の瞳を瞬かせた。桜色の髪が、緩やかに波打ち、まろやかなラインを描く肩にかぶさっている。
 ここに来る途中に廊下で出会った、扉が開かないと往生していた少女だった。スザクが見ると、脇にあるボタンが壊れていた。古い研究室にはよくあることだったのと、同じような故障を知っていたため、少しいじって問題を解決してやると、目を丸くしていた。その後、丁寧に礼を言ってきたため、名乗り合い、少しの間、友人のように談笑までした。
 彼女がまさか、とスザクは困惑した。第三皇女はメディアへの露出がなく、士官学校でも姉皇女の溺愛ゆえか情報流出は抑えられていたため、彼はその容貌を知らなかったのだ。
 少女も予想外の出来事に驚いたようで、息を止めたように棒立ちになっている。
「ユーフェミア皇女殿下ァ、拝謁の機会を得まして恐悦至極に存じます」
 突然甲高い声が響き、見つめ合っていた二人は肩を強ばらせた。
 ロイドが、軽快とも優雅とも言えない、あえて表現するなら奇妙としか言いようのない動きで、腰をかがめていた。その背後で、セシルは緊張した顔で敬礼を続けている。
「あ、はい」
 ユーフェミアは気が抜けた声を上げて、それから、慌てて顔を引き締めた。それを白けたような顔で見て、ロイドが名乗る。
「ランスロットの責任者、ロイド・アスプルンド准将です。こちらはセシル・クルーミー中佐」
 スザクは密かに驚く。名はすでに聞いていたが、二人ともが階級章を外していたため、正確な地位を彼も今知ったのだ。ロイドもセシルも、ただの技官には考えられない階級だった。それは、彼ら、もしくはこの研究室が第二皇子の麾下にあることを示す、何よりの証拠だった。
 しかしその意味を計りかねてか、ユーフェミアは眉尻を下げた。困惑して口内で舌をためらわせてから、気を取り直したのか、僅かに首を傾げて口を開く。
「この度は、不躾なお願いを受け入れてくださって、ありがたく思います」
「いいえェ、ランスロットは皇子皇女殿下方のためにありますから」
 ロイドは唇をたわめた。それを笑みをとり、ユーフェミアは両手を腹の前で握りしめたまま、薄く微笑んだ。彼女はしばらく挙措に惑う様子を見せてから、不意にスザクに向き直った。
「スザクさん?」
 甘い声が舌足らずに、先ほど交わした彼の名を呼んだ。その律儀さとぎこちなさに、スザクは少し微笑む。
「はい」
「先ほどは、ありがとうございました。それと急なことなんですけれど、どうかよろしくお願いします」
「はい、皇女殿下。お役に立てて光栄です」
 スザクは敬礼を解くと、すっと腰を落とし、皇族への正式な礼を取る。友人の妹を喜ばせるためにおぼえたそれは、すでに自分の一部となっている仕草だ。
 ユーフェミアははっとして顔をしかめ、それから悲しげに微笑んだ。唇が、似つかわしくない、冗談めかした声音で言う。
「ユフィとお呼びくださいな、先ほどのように」
「ああ…ええと、ユフィ皇女殿下」
 二人の皇子皇女を呼び捨てるスザクは、一瞬その不躾さに気づかず、顔を上げ、言われたままに愛称を口にした。敬称はついたままというおかしな呼び方だったが、ユーフェミアの顔は驚きに満ちた後、明るく輝き、それと相反して、背後の護衛たちが険悪になった。
 スザクは慌てて頭を下げ、謝罪する。
「すみません! 無礼を」
「私が頼んだのです」
 ユーフェミアは振り返り、護衛たちを迫力なく睨んだ。しかし、その諫めに、彼らは一向に怯んだ様子を見せなかった。風に吹かれただけの反応さえない。それに悄然としたように唇を噛むと、一度俯いてそれから、彼女は再びスザクに向き直る。
「私は、クエンエラ星域の稀少金属分配の意見役として、クロスセントラルタワーに行かなくてはなりません。会議は二日後なのです。間に合うでしょうか?」
 スザクは少し思案した。この宙域の地図は頭に入っている。ロイドに視線をやると、好きにしろと言わんばかりに肩をすくめられた。
「半日の余裕は持てるかと予想します。こちらへどうぞ」
「それでは、クルルギ一等兵。残りのことは、艦内で指示しますから」
「了解しました」
 ロイドとセシルは、ランスロットの後部に位置する調整デッキへと向かうようだった。
 立ち上がったスザクの先導に、ユーフェミアは鷹揚に頷き、歩き出した。護衛たちも当然のように後に続き、ドックに複数の足音が響き渡る。
 パイロットスーツの腕についている小型のリモートコントローラーを操作すると、白い表面につ、と線が浮き、噛み合わされた歯車の形が左右に分かれた。開かれた出入り口から、タラップが降りてくる。
 本来なら皇族を先に通すところだが、ナイトメアには、そのパイロットであるデヴァイサーがすべての優先権と権限を持たされている。スザクはまず慎重にタラップを上り、出入り口に付属する気圧調整室で跪いた。彼の仕草を見て取った護衛の一人が、ユーフェミアを促した。
 彼女は少し戸惑うようにしてから、意を決した顔になって一歩を踏み出した。案外しっかりした足取りで、不安定な足場を歩く。
 ドレスに包まれた細い足が、タラップからランスロットの床に落ちたとき、身構えていたにも関わらず、腹の底に嫌な感覚が生まれた。
 しかし、その足の持ち主は、乗艦の権利を持っているし、そうでなくともあの無垢な雰囲気の皇女にそんな感情を持つことは、スザクには正しくないことに感じられた。彼女とて、好きでテストもろくにしていない新型艦に乗るわけではないのだ。
 どうしても感じてしまう軽い失望を、スザクは見えない振りをする。
 搭乗者たちを個室へ案内しようとした彼に、ユーフェミアの護衛の一人が首を振った。操縦者の腕が心配なのだろう。基本的に、ナイトメアの中でもっとも安全性が高いのは、デヴァイサーのいる操縦室、つまり戦闘時の司令室である。
 一度奥歯をきつく噛みしめて、スザクは方向を変えた。
 彼もはじめて入ったランスロットの操縦室には、中央奥にシンプルな司令席があり、その周囲にいくつかの空席が備えられていた。本来はブリーフィングの際に使われるものだろう。ユーフェミアは自然、司令席に腰を落ち着け、彼女の護衛たちは空席を埋めた。
 そこから視線を逸らす。
 スザクは司令席の前方、もっとも前面に位置する操縦席につくと、後部座席から見えないように首を振って、心を落ち着けた。
 今まで、どんな理不尽な要求があっても、すべてこなしてきたのだ。今回は、仕事という理由があるのだから、それらに比べれば、余程ましだった。
 主を一番に乗せられなかったことには消沈するし、彼をなだめるのは難題ではあるが、事情を説明すればわかってくれるはずだと、スザクは開き直る。彼は、そこまで狭量な人間ではない。
 パイロットスーツに手早くジャックを繋ぐと、腰部にもう慣れた痛みが走るのと同時、変化は急激に訪れた。グラスに水が満たされるように、ランスロットと感覚が共有されていくのを感じる。士官学校の使い古された練習機とは違う、新鮮で強靱な力が、指先に浸透していく。
 一行の全員がシートに落ち着いたのを、デヴァイサーとしての感覚と視覚とで確認し、彼は声を張った。
「スタンバイ」
 かすかな振動が艦を包み込む。セシルの少し緊張した声が、周囲より一段低い操縦席の遮音フィールド内に響いた。
『スタンバイ確認。コアルミナス確認、…グリーン、ユグドラシルドライブは正常に作動しています。…適合率を確認、拒否反応は微弱。数値に異常ありません。総員収容完了、気密調整完了。昇降装置を起動します。…ハッチ開放』
 押し上げられ、モニタに迫り上がってきた滑走路の奥に、黒い宇宙空間が見える。
『いよいよデビューだねぇぇ』
 通信を通してより金属的になっているロイドの歓喜に満ちた声を煩わしそうに遮り、セシルが抑えた声を送ってきた。
『それではランスロット、発進を許可します』
「では、行ってきます」
 ――すぐに帰ってくる。
 スザクは寝台に横たえた、幸福そうに眠る友人の姿を思い浮かべ、目を閉じた。
 MEブースト、と静かに呟く。内蔵をかき混ぜるような熱が、無機質な金属を満たす。艦全体に身震いのように振動が走り、すぐに抑えつけられ、静けさを取り戻した。
 そうして次にスザクが瞼を上げたときには、モニタには星雲が広がっていた。
 ほとんど齟齬を感じさせないなめらかな急発進に、今はもう見えない研究室では快哉が叫ばれていたが、その声は彼には届かない。
 ドックを出た途端、皮膚に冷風が吹き付けられるような錯覚があった。ランスロットの外壁神経から得る感覚が、皮膚に投影されているのだろう。スザクのサクラダイトとの適合率は平均が90%代で、人間とは思えないとまで言われて賞賛されたものだったが、こういうときは不便だ。同級だったカレン・シュタットフェルト・紅月などは、そのあたりのバランスが絶妙で、ときにスザクよりもよほどサクラダイトとの相性がいいのではないかと思わされたものだった。
 告げられた目的地は、通常航路であれば一日半で辿り着ける宙域だった。すでにロイドから、簡易実験のデータは受け取っている。ランスロットであれば、もう少し予定を繰り上げられるだろう。
 しかし、帰宅時間はかなり遅れるな、とスザクは操船する傍らで落ち込んだ。
 途中で、自宅に連絡を入れる時間がとれるかわからない。もし自分一人なら、自律回路に操船を委ねて個人通信を開くくらいはできるが、任官前とは言え、今は仕事中だ。ユーフェミアはもしかしたら許可をくれるかもしれないが、彼女の周囲の人々が許さないだろう。
 拗ねなければいいな、と静かに嘆息する。せっかくの艦を、見ないなどと言われては悲しい。
 昨夜、調子に乗って杯を重ねすぎて眠り込むまで、終始、彼は笑顔だった。いつもは気難しい顔をして、時に皮肉な笑みを浮かべるくらいしかない彼だが、新型艦がよほど嬉しかったのだろう。派手好きで最新鋭好きの彼のことだ、ランスロットを見れば、機嫌は直るに違いない。しかしそれでも、貴重なその笑顔を壊したくなかった。
 騎士は、主の幸福を守るためにあるのだから。
「ふん…操船技術はなかなかのようだな」
 ある程度安定した航路に侵入したと判断したのか、床についている伝声システムを使い、護衛の一人がスザクに声を掛けた。おそらく、騎士の資格を持っているのだろう。凛とした雰囲気の女性だ。
 つい先ほどまで考え事をしながら操船していたことをかけらも感じさせず、スザクは遮音フィールドを解除し、真面目な声音で応じた。
「ありがとうございます」
「だが、殿下がいくらおっしゃっても、これから口の訊き方には気をつけろ。ユーフェミア殿下は、おまえの主なのだからな」
「えっ?」
「承知しまし…」
 皇女が小さく驚く声を背に、数瞬沈黙した後、スザクは完全な条件反射で、遊星を一つ、未確認飛行物体を五つ避けた。ユーフェミアの髪は、少し揺れただけである。護衛の一部がその巧みさに唸るのを聞き逃し、そして数秒が経ってから、スザクは間抜けに口を開いた。
「…はい?」
 漆黒に白い軌跡が瞬き、消えた。