傾国

STAGE 14 / Between the lines

切断され、遮断される

「――あっ!?」
 悲鳴を上げていたと思ったら、珍しい、怒りの籠もった声が聞こえたので、カレンはそちらへ目をやった。スザクが、手に持った受話器を呆然と見ている。先ほどから、今はいない副会長から電話がかかってきたと騒がしかったが、どうやらそれが切れたらしい。
「え、なんで」
 おもしろいくらいにうろたえているのに、リヴァルが苦笑して、その原因を指さしてやっている。スザクとともにカレンもその見えない線を目で追い、黒く伸びたコードの先端が床に落ちているのを見つけた。
「電話線抜けちゃってるって」
「…そんな」
 遠目に見ても情けない顔で、スザクは肩を落とす。彼の足下で、振り落とされたアーサーが、制服の裾を引っ掻いている。
 ミレイが手を伸ばすと、アーサーはすぐさま目先を変え、柔らかな太腿の上に招待を受けた。リヴァルが疎ましげな視線をそこに落とす。電話線を直しに行くニーナの後ろ姿を目で追いながら、彼女は提案した。
「かけ直す?」
「無駄、に一票。もう電源切ってると思いまーす」
 リヴァルが手を挙げて言う。経験があるのだろうか。
 彼の忠告に耳を貸さず、再び繋がった電話で、スザクは目的の番号にかけ直した。暗記しているらしい。しばらく受話器を耳につけてテーブルを睨んでいたが、やがて、より深く肩を落とす。
「…出ません」
「な?」
 ほらどうだ、とリヴァルが憤然とする。
「ひっどいやつだよ」
「せっかくスザク、がんばって来たのにね」
 軍務が早く切り上げられたからと、生徒会の活動というより友人の顔を覗きに来たらしいスザクは、一番仲のいいルルーシュの不在に、拍子抜けしたようだった。その顔に気を抜かれ、まさにはじめられようとしていた生徒会の業務は、中途半端に中断されている。
「ルルーシュのほうがいないなんて、おかしいです。ふつう、逆じゃないですか?」
「スザクさん、スザクさんも忙しいと思いますけど、お兄さまだって、忙しいんですから」
 ナナリーがたしなめ、スザクは衝撃を受けたように俯いた。
「…うん、そうだね」
「あらーナナリー、今日はいじわるね」
 ミレイが瞬き、ナナリーはふと頬を染めて、兄の友人と同じようにして俯いた。スザクさんごめんなさい、と囁くように謝ってから、小さな唇を尖らせる。
「最近、お兄さまが構ってくれないからです。お兄さまのせいです」
「…まぁったく、スザクといい、リヴァルといい、ナナリーといい、…ほんとルルーシュが好きねぇ」
「友達ですから」
 ミレイに抗議しようとしていたのだろう、肩を怒らせたリヴァルは、いち早く発言権をとられ、その内容にがくりと肩を落とした。スザクはなぜか、気負ったような表情だ。
「妹ですから」
 ナナリーも微笑み、首を傾げる。ニーナがその様子を見て、小さく笑う。
「――会長」
 カレンは本を閉じ、立ち上がった。
 話題の主をあまり好いていない彼女には、彼女らの会話は居心地悪いものだった。仲睦まじい兄妹の関係も。そうでなくとも、今は、できるだけ黒の騎士団に顔を出して、紅蓮弐式に慣れておきたいのだ。
 全員の視線がカレンに向けられる。
「生徒会の活動がないなら、私、帰りますね。…あの、シャーリーのところに寄っていきます」
 意識して出した名ではなかった。ただ、早く帰りたかったのだ。
 ミレイが数瞬、射竦められたような顔になる。カレンもまたはっとして、青ざめ、自分の発言を後悔した。二の腕に、冷たい水を垂らされたような冷たさをおぼえる。
 他のメンバーの顔を見るのがおそろしく、力なく口を開閉させるカレンの前で、ミレイは驚くべき早さで笑顔を取り戻した。
「…そうね、また、寂しくなったらこっちに来いって、伝えてくれる? それと、ルルーシュのいるときは連絡するからって」
「…はい、わかりました。お先に、失礼します」
 救われたように頷いて、カレンは読んでいた本を小脇に持ち替え、一礼して生徒会室を出た。背後で生徒会室の扉が、すべての音を遮断するように、重く静かに閉まった。もう、皆の声が聞こえない。一度振り返って無機質な木肌に対面し、自分で出てきたはずなのに、なぜか、泣きそうになった。
 ぎゅっと眉を寄せて、呟く。
「シャーリーのところへ、行く」
 そして、彼女の思い人の話につき合ってやろう、と思った。不謹慎かもしれないが、彼の話題を出せば、彼女はきっと、あの心が温まるような笑顔を見せてくれるだろう。なんなら、自分が着いていくと決めたあの人の話をして、彼女を安心させ、喜ばせてやってもいい。自分がそんなことをするのはひどい裏切りだとわかっている、けれど。
 ――シャーリーは、知らないのだから。
 カレンは一つ頷くと、鞄を開け、抱えた本を紅蓮弐式のマニュアルの隣にしまって歩き出した。

重荷

 シャーリーとヴィレッタのあのとき。やや残酷な描写があります。許容できそうであれば、反転してどうぞ。

 捨てなければ、と思ったのだ。
 しかし、ずり、と肌がアスファルトに擦れる音がどこか水気を帯びて聞こえた、それだけで、シャーリーの身は縮こまり、硬直した。その生々しさから耳を塞ぎたかった。けれど、両手はすでにいっぱいで、それ以上何も持てない。意識を失った人の身体は重く、シャーリーにはとても運べなかった。
 長い時間、随分歩いたと思って周囲を見渡せば、まだコンテナの合間に立ちつくしていた。少し先に、黒い塊が転がっている。その中に紛れて、細い姿はもうわからない。
「うぅ」
 見下ろすと、自分の手はしっかりと女の外套を掴んで、離そうとしなかった。少し引きずっただけなのに、女の衣服はもうぼろぼろに破れている。官能的な褐色の肌は、傷と砂にまみれていた。
 シャーリーは涙を堪えて奥歯を噛みしめながら、この姿を誰にも見られたくないと思った。みんな、ここから消えてほしかった。ルルーシュ以外の、いや、ルルーシュでさえも――ルルーシュこそが。すべてが。
 すぐ近くに、砲弾が落ちる音が聞こえた。悲鳴が出てこようとするのを、唾を飲み込んで耐える。喉の奥が詰まったようになった。
「ルル」
 声が震え、縋るように呼んだ。彼は、今、すぐそこで、血を流して意識を失っているのに。
「ルル」
 彼が自分に許した呼び名、それだけを、ただ、囁いていたい。
「ルル、」
「…、…ゼロ、!」
 ふと、引きずった女が呻き、憎悪と執着に満ちた声で、彼を呼んだ。
 固まった腕が唐突に動き、指が緩む。支えを失った女の頭が鈍い音を立てて落ちた。うめき声が不自然に止まる。慌てて後ずさったローファーが、長い銀色の髪を踏みつけた。靴裏についていた泥が、薄く光る白の上にこぼれ、醜い色が崩れる。
 女の呼吸が、細く途切れたのを感じた。気のせいだったかもしれないが、たしかに、シャーリーはそう感じたのだ。
 シャーリーは再び、周囲を見渡す。重く低い音に、人の悲鳴が混じった気がした。
 今は戦闘中だ。人の死体も、きっとたくさん出るだろう。手の先にある女も、このままでは、おそらく、戦死者として扱われるはずだ。誰も、気づかない。知らないことにすればいいのだ。そうすれば、いつも通りでいられるはずだ。目尻が引きつった。
 罪が紛れるほどの死体が積み重なる様を想像し、
 その中に虚ろな紫の瞳を見つけて、シャーリーはついに逃げ出した。

こちら中間管理職

「扇さんっ、ゼロは!」
 カレンは紅蓮弐式から降りるなり叫んだ。コクピット内で暴れるように動いたのだろう、髪がいつも以上に奔放に跳ねている。肌には汗がじっとり滲んでいた。
「通信が入った。無事だそうだ」
「そう、」
 怯えたような光を瞳に浮かべていた少女は、それで、少し落ち着いたようだった。
 二人は二機で最前線を抜けた。だから扇には、どのような経過でカレンとゼロがはぐれたのかはわからない。しかし彼女の心配する様子に、ゼロの身に、傍目に見て深刻な事態が起こったのだろうことは知れる。もしや、相当の深手を負ったのではないかと、彼は危ぶんだ。
 しかし、過敏になっているらしいカレンをそれ以上刺激するのはためらわれる。彼女が見たらしいゼロの様子を、扇は聞けなかった。
「よかった、ゼロ」
 心底安堵した声で呟く。その声に、すでに震えはない。
「あの白兜。次は」
 カレンが眉を寄せる。その顔には、憎しみはなかった。ただ、邪魔なものを除けるという、前向きな決意が見られた。負の感情に歪んでいない、本来の整った顔立ちだ。
 その顔を見たかったはずなのに、どうしてか背筋に冷水を流されたような感覚をおぼえ、扇は慌てて声を出した。
「紅蓮弐式を休ませてやれよ、カレン」
「ああ、うん。そうする」
 カレンは素直に頷き、再び機体に登ろうとする。扇はその背を見ながら、ゼロに通信を入れた。
「ゼロ! 怪我とかは…」
『問題ない』
「! し、」
 忘れていた。先ほども、通信を入れてきたのは彼女だったのだ。
 扇は言葉を飲み込んだ。横目でカレンのほうを窺うと、彼女の姿は見えなかった。刺しっぱなしにしてきた紅蓮弐式のキーを抜くために、コクピットの中に籠もったらしい。この分では、先ほどの声は聞こえていないだろう。
 しかし念を入れて、扇は無線に呼びかけた。
「ああ、ゼロ。わかった」
 雑音の向こうで、C.C.がしばし沈黙した。それから、ああ、と呟く。こちらの状況を察したらしい。その声には、呆れが混じっている。
『…それで、次の指示だが。おまえたちは、このまま解散しろ』
「え、そっちは? こちらに来ないのか!?」
 C.C.は、ゼロは負傷している、と言う。治療の必要があると、淡々と。
 扇は背を丸めた。
「それは、…でも頼むよ。皆動揺している、ディートハルトが状況は知らせてきたんだ、俺たちはたぶん勝った。でも…」
 黒の騎士団は、ゼロを中心としている。だから、戦闘後には、彼が勝利を断定し、その後の方針を断言しなければ、感情のベクトルが簡単に見失なわれてしまう。今のところ、団内で、規律はある程度正しく守られている。しかしそれは、ゼロへの畏怖あってのことだ。少ない女性団員や、カレンや井上のことを思うと、扇はできるだけ、ゼロに昂揚した雰囲気を冷ましておいてほしかった。
 それに、扇自身も、彼と直に会って、不安を収めてもらいたかった。片瀬少将のことを、少なくとも、扇たち古参のメンバーは気にしている。
 向こう側で、囁くような声が何かやりとりを交わす。親密げな、とまではいかないが、心得たような間だ。二人は雰囲気が似ている、と思う。猫のように気まぐれで、情に薄い。そういえば、二人とも、足音を殺すのが得意だ。ゼロなど、普段はあれだけ音高く歩くのに。
 不意に、時折高波のように押し寄せる、馴染んだ不安感をおぼえ、扇はますます肩を寄せる。
「なあ、ゼロは、なんて言ってるんだ? 直接話せるなら、ゼロに…」
 哀願するように尋ね、そして次の瞬間、扇は全身を硬直させた。
「――扇さん。誰と話してるの?」
 犬のような瞳が、彼を見上げていた。