傾国

STAGE 13 / Between the lines

灼かれるように

 待ち合わせの場所にリヴァルが着いたときからずっと、ルルーシュもスザクも黙り込んでいた。
 ルルーシュは暗い、沈痛な表情を浮かべていた。普段のあの澄まし面は遠い。彼の様子に、少しはシャーリーも嬉しいのではないかと思いついて、リヴァルは己を叱咤した。――そんなはずがないのだ。
 スザクは似合わない、険しい顔をしていて、それは、友人の親の葬式に来るための顔ではない。己のうちに沸き上がるものを睨みつけている。
 彼は、第三皇子暗殺裁判の事件の際、はじめて世間を騒がせたゼロと、直接対峙したはずだった。リヴァルが時折訪れる政治関連の掲示板では、ゼロとスザクの関係を邪推するコメントを見かけることがある。イレブン同士、何らかの繋がりがあったのではないか、と。
 しかし、スザクの様子には彼のゼロへの憎しみが垣間見え、リヴァルは喉が渇くのを感じた。例えばこの顔を写真として貼り付けでもすれば、それを見たものが、彼の善への傾倒を疑うことはないだろう。しかし、同時に、彼の無害を信じるものも、いないかもしれない。
「スザク、おまえ」
「…え?」
 声をかけると、彼はしばらく突っ立ったままだったが、顔を上げた。
「何?」
「ゼロに会ったんだよな」
「…ああ」
 緑の目が細められる。
「ゼロって、」
 どんなやつだった?
 そう尋ねる前に、スザクは断定した。
「ゼロは間違ってる」
 低く、噛みしめる声音だ。軋む奥歯が、喉笛を喰い千切るように、一度だけ擦り合わされる。
「彼は! …」
「命の恩人、なんだろ」
 言葉を失ったように苦しげなスザクに、不意に顔を上げ、ルルーシュが掠れた声で呟いた。整った顔に薄く浮いた隈に、リヴァルは気づく。いつも昼寝ばかりしてなめらかな肌と余裕を保っている男が、どうしたのだとからかうことも、今はできない。
 スザクは苛立たしげに吐き捨てる。
「…助けてくれと言ったことはないよ。あれは彼が、自分のためにしたことだ」
 ゆっくりとした動きで、紫の瞳が友人を見た。うつくしい、不安を煽る色が揺らめいている。
「…ああ、そうだったな」
 気のない音が、血の気の失せた唇から落ちる。その同意にかぶさるように、ミレイの声が聞こえた。待っていたカレンが到着したのだ。
「ほら、そこの男連中! 行くわよ!」
 彼女の声は、張り詰めてはいるが力強く、リヴァルは救い上げられるような心地になった。いつでも、彼女だけは揺らがないような、そんな錯覚を信じたくなる。
 ルルーシュがすっと身を翻した。スザクは一度目を伏せ、まとわりつくものを振り払うように一度強く頭を振って歩き出す。
 一人の歩みは重く、一人の歩みは早い。
 二人は自然と並び、リヴァルはその背中を見る。本物の軍人であるスザクと比べるとわかる、ルルーシュの細さと薄さ。彼が、高慢だ剛胆だと思いこそすれ、繊細だなどと、思ったことはない。しかし今はどうしてか、その後ろ姿が、ひどく頼りなく見えた。
 すぐにスザクが、ルルーシュを追い抜く。少し乱暴に揺れる手が、ルルーシュの腕に掠った。スザクは気づかない。けれど、細い腕は、弾かれたように離れた。
 開いた指が、何かを掴もうとするように、空を掻いて喘ぐ。

彼が騎士をつくる

 いきなり白くて平たいものが、目の前に散乱した。よく見ると、それはランスロットの稼働データをプリントアウトしたものだった。おそらく機密も混じっているだろう。男は驚いて、次に納得した。そろそろ聞き慣れてきた、喚く声が追ってついてきたからである。
「暴力反対!」
 その声に何も返らないのに、背筋が冷える。次いで、何か柔らかいものを殴るような音がしたが、気のせいだ! と自分の心に叫んだ。
 気を落ち着けて、さて困ったなと、頭を掻く。一段落ついた同僚たちに、コーヒーを淹れてやると言って出てきたのだ。ナイトメアドックから給湯室に行くには、この廊下を通らなくてはいけない。しかし、迷惑なことにドアは開け放しになっていて、中の人間にはそれを閉める気配がなかった。
「セシルくん、痛い!」
 不吉な声が聞こえ、耳だけでなく、何を見てもいない目まで逸らしたい気分になる。
 男にとっては年下の二人は、技術者とはいえ上司に当たる。仲裁に出るのは面倒だ。どうせ、放っておけば、いつの間にか元の鞘に収まっているのだから、口出しするだけ損なのである。
 迂回路を考える男の耳に、ようやくセシルの声が届いた。
「ロイドさん、スザクくんにまた何か言ったんですね? 精神が不安定だって言ったでしょう!」
「あれくらい、スザクくんならどうにかするよぉ」
 懲りない適当な答えに、思わず少年に同情する。特派の人間の中で現在もっともロイドの被害に遭いながら、いまだに上司との意思の疎通を諦めない彼に、男は密かに尊敬の念を抱いていた。同程度に、被虐趣向の持ち主ではないかという疑いも抱いていたが。
 ランスロットに出動要請があったことは聞いている。それも、コーネリアの親衛隊からだと言う。名誉ブリタニア人にとっては、またとない出世のチャンスだ。多少心が揺れていても、それを思えばどうにかなるだろうと、男は心中でロイドに同意した。セシルはどうも、少年に甘いのだ。今も、おそらく彼のことで、ロイドに抗議しているのだろう。
「本当に信頼してるわけでもないのに、そんなことを言って…」
「何言ってるのセシルくん、信じてるよぉ? だから、デヴァイサーなんだから」
「…あなたはどうしていつも!」
 セシルの声が荒げられる。どこか泣きそうな響きが、まろやかな音の中に混じっていた。
「わかっているんでしょう、…」
「僕は知らないよ」
 答えるのはいつもの声だ。しかし、その一言で、空気が凍り付いた。
 数秒、静寂が降りる。
 男は身じろぎさえできず、固唾を呑んだ。二人が、ここまで微妙な気配を漂わせることは、あまりない。
 ――この辺りが引き時だろう。
 この二人の会話には、口を挟んではいけない。これはすでに特派全体の認識である。特派に引き抜かれた者は、ロイドに必要以上に近寄ってはいけないという不文律の次に、セシルの拳への衝撃を抱きながら、それを学ぶのだ。若干一名、まだ学んでいない少年がいるが、彼もそのうち理解するだろう。
 ゴム製の靴底が音を立てないよう、少しずつ、後ずさっていく。
「もし……あの、紅い機体が出てきたら」
 息づかいに紛れて聞こえたセシルの声は低く、何かをはばかるようだった。
「来るかもねぇ、でも」
 対するロイドの声は、いつも通りの浮ついたものだ。しかし、どこか、寒々しい感じもする。
 これ以上聞かないうちにと、こっそりと回れ右をし、来た廊下を戻る。仕方ない、コーヒーは諦めろと皆に言わなければ。二人がデヴァイサーの教育方針について言い争っていたとでも説明すれば、皆、同情してくれるだろう。ついでに、セシルに気があるらしい、アプローチを繰り返しては失敗している同僚が、代わって茶くみに走ってくれるかもしれない。そうと決めつけて、忍び足でその場を離れる。
「僕のランスロットは負けないもの」
 最後に遠く聞こえた、子供のような、母親のような、不思議な響きが耳に残った。

抱きしめていれば

 手のひらの中に千切れて丸まったガムテープを部屋の隅に投げ捨て、蓋を開けた。詰め込まれた厳重な包装を取り払う。ベッドの上が瞬く間に散らかったが、それに構わず、C.C.は両手を箱へ突っ込み、柔らかいものを取り出した。待望の黄色い姿に、口元が緩む。
 赤ん坊を喜ばせるように脇を持って、目の前に高く掲げると、低反発な身体は少し下に垂れた。それにすら感動して、C.C.は伸びるその身体を、縦横無尽に伸ばしたりひねったりする。次にはベッドに置いて、その上に寝そべり、胸や腹、腰や尻で潰したりする。
 無言の一人遊びは、しばらく続いた。
 数分後にはもう、少しくたびれた姿に気づかされる。少し、やりすぎたかもしれない。
 改めて見ると、感慨深かった。少しずつシールを貼り溜めた時期のことが思い出される。毎日一枚か二枚ずつ、丁寧に貼りつけていた。そのカードはもう手元にないが、何番目のシールが、どの種類のピザを食べたときのものかもわかるくらいだった。送った中には、ルルーシュが文句を言いながら、シーツの合間から探し出したシールも含まれていた。
 ――少しだけなら、さわらせてやってもいいと思っていたが…
 鼻を鳴らして、その名が示すものよりも、マフィンか何かに近い身体を腹に乗せた。
 数日前の夜遅く、クラブハウスに帰ったルルーシュは、妹にも会わず、C.C.のいる自室にも戻らなかった。何があったのか、C.C.はすでに知っている。翌日の彼は、口数が少なくなり、妹や世話係の女を心配させていたが、すぐにその理由は彼女らにも知れた。クラブハウスにはどことなく翳りが生まれ、そして今日、ルルーシュは朝早くから出かけた。
「せっかく届いたのに、な」
 あの様子ではルルーシュは、自室に新たに増えた異物にも気づかないだろう。もう少し到着が早ければ…と何気なく思いついて、眉を寄せた。彼の都合に、C.C.の娯楽を合わせる必要はない。
 当てつけに、わかりやすいだろう枕元に置いてみて、首を傾げる。視界の狭いルルーシュのことだ、これでも、気づかない可能性がある。
 ――さて、椅子に座らせておくか、それとも、布団の下にでも潜らせておくべきか。
 C.C.が沈思したとき、階下から、物音がした。誰かが帰ってきたのだろう。妹も世話係も在宅しているのだから、もちろん、誰であるかは明白だが。階段を上がる足音に、C.C.は黄色い身体を引き寄せた。
 ――抱きしめていたら、気づくだろうか。