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第六十一回 聖徳閣
第六十二回 高架下の供養仏 追記
第六十二回:高架下の供養仏 追記 ―加古川市加古川町溝之口―

58回目で紹介の【高架下の供養仏】を訂正しなければならなくなりました。
 終戦間もないころは、多くの復員兵が郷里を目指しました。交通機関は限られており、主流の電車は満員状態でデッキにも溢れていました。一刻も早く帰りたく屋根まで占領していました。もうすぐ加古川駅という地点で、頭上を通っていた高砂線の跨線橋に頭をぶっつけて亡くなられた方の供養仏、と近隣の古老の話や別の証言を得て重要な事柄と判断してまとめました。
 日岡山展望台から南方、国道2号線を横切り市役所方面へと通じる「御陵道」の一つですが、前を通るたびに眼にするのは、いつも手入れがなされ花などが手向けられているのが気になりました。注意していましたが、残念ながら誰とも会えないまま書いたのが気がかりでした。
 18年12月、偶然にも女性の姿が眼に届きお話を聞くことが出来ました。近くに住んでおられ、直接の関係者ではありませんが、事情を知ったうえで、誰もお世話をする人がいないので代りにしています、と話され「遊郭にいた何人かの女性が電車へ飛び込み自殺をしたので建てた」と答えられました。
 加古川駅や山陽本線の高架で周辺が拡張されたときに現在地へ移された、とも言われました。当時の建物などは無くなり、随分と街の風景は様変わりしているものの、関係者への追跡調査をするべきか、どのように訂正すればよいのか、と悩みました。
 17年5月、東京へ「関東大震災供養碑」の探索に出掛け浄閑寺に立ち寄り「新吉原総霊塔」を見学、住職さんとお話ししたときのことです。
 江戸時代の遊女について「調べもせずに来て、現代の感覚で質問する……」と歎かれていました。好んで身を沈めていたのではありません。凶作でも年貢の取り立てが厳しく、夜逃げや生きていくためにはお金が必要となります。家族を救うための、犠牲になっている場合がほとんどです。
 高架下の供養仏も苦しい日々のなかで耐え切れず、電車へ身を投げるという「死」を選んだのでしょう。
 歴史の片隅に生きた悲しい女性達を忘れてはならないのです。祀られている仏さんを通して何らかの形で伝えて行かなければならないのでしょう。お世話をされている女性も高齢のため引き継いでくれる人を探している、とも話されました。
 今後、新たに情報が得られれば記さなければならないと考えています。

                                      20190531 岡田 功(加古川史学会)