神 聖 国 紀 行 21

「……おはようございます」
「おはよう」
「おはようございます」
 日頃の習慣と、ささやかな攪乱の目的で挨拶をしたものの、まさか返事があるとは思わなかった。それも二人分も返るとはと、クウヤは驚いて身じろいだ。
「早速だが尋問を始めようか」
 しかも何事もなかったかのように流されるのにも驚いた。本拠地以外に、こんな奇妙な空間があるとは思わなかった。世界は広い。
「おまえの所属と階級は?」
 尋問の担当は、豊かな低音の声を持つ男であるようだ。姿を見れば、彼は声にふさわしい、がっしりした体格の壮年の男だった。無精髭が疎らに生えており、それは彼の男ぶりを損なうものではなかった。威厳のある態度に、クウヤはふと、どこかで見覚えがあると思ったが、はっきりとした記憶を引き出すまでには至らなかった。帯刀している彼のことを、クウヤは武人と呼ぶことに決めた。
 もう一人、特徴のない声の主は、挨拶をしたきり沈黙している。顔は武人に比べると平凡で、細い目が穏やかにも酷薄にも見える、微妙な表情を浮かべている。くたびれた衣服をまとい、しかし隙間に見える眼光が、学者のように思慮深く観察を続けていた。その様子がどこか薄ら寒く、武人よりもむしろこちらに注意すべきかもしれないと、クウヤは感じた。こちらは武人の連れなので、文官としておく。
「所属は特にありません。出身国はここから南のほうの山の中。階級は……えっと、農民?」
 ほぼ真実であることを、さっさと話してしまう。雄弁は銀で沈黙は金だが、この場合はきっと、しゃべってしまったほうがいい。クウヤは多弁の質で、煙に巻くことはできるが、黙秘は得意でないのだ。
 けろりと話すクウヤに、ほんの少し戸惑ったような間をおいてから、武人が再び尋ねた。
「ふむ、農民か。…あの同行者どもは?」
「あー旅の途中で偶然知り合って。片方のあの人はどっかの軍の人なんじゃないかなあ。今はやめたって言ってましたけど。詳しくは聞いてません。関わるの怖いし。もう一人は、その人の連れみたいです。魔法がそこそこ使えるみたいですけど、この人のことは僕全然知らないです。あんましゃべらないし。まあどっちのこともよく知ってるわけじゃないけど。会ったばっかりだし」
 あまり嘘はついていない。
 恐怖でべらべらしゃべっているように見えればいいのだが、あいにくクウヤは演技もあまり得意ではない。そのためどこかのんびりとした口調になってしまったが、相手は特に気にしていないようだった。
「農民が旅だと? どこへ行くつもりだ」
 どこであっても、農民は搾取される側だ。武人はあからさまに不審がる。
「旅、っていうか、はあ」
 クウヤは高速で脳を回転させる。
「えっとですね、村を追い出されたんです。僕捨て子で、育ててくれたじいちゃんが死んじゃったから。それで、別の集落で雇ってもらおうと思って。その途中で、あの人たちが迷子になってるのに会ったんです。で、近くの集落までって案内頼まれたんです。でも僕も迷っちゃったんですけど」
「ふん…」
 男は鼻を鳴らすと、顎を撫でた。納得できないことはないが、気にくわないと言うようだ。
「おまえの名はなんと言う?」
「クウヤ、です」
 逡巡せず、本名を答えた。同盟軍の軍主と名前が一致するくらいなら、偶然ですませることができる。もし、守り袋の中を見られていた場合でも、いくらでも理由は捏造できる。
 しかし結局、守り袋については尋ねられなかった。
「連れの二人の名は?」
 そう聞かれた時は逡巡した。頭の中で適当な名前を探す。
「…イドとルークです」
 本人たちがいたら、有名工房品の紛い物かと、怒るか白けるかだ。シュトルテハイム・ラインバッハにしなかっただけマシだと思ってほしい。クウヤには、ネーミングにかける情熱はあるが、センスはないのだ。
「そう聞いてます。本名かは知りませんけど」
 一応、軽くフォローしておく。
 武人は軽く頷いた。
「おまえたちがここへ来た目的はなんだ」
「食糧の略奪です」
 こればかりはきっぱりと、クウヤは答える。無意味に胸まで張ったかもしれない。同行者たちが何を考えていようと、彼の中ではそれ以外の何でもなかった。
「その他にも、目的があったのではないか」
「僕の目的は、食べものです。お腹空いてたから」
 あのときはまさに限界だった。視界が黄色かったのだ。実を言えば、何をしゃべってどんな行動をとっていたのか、今ひとつ記憶に残っていない。ただ、正気に戻ったとき、他の二人が、何か奇妙な生き物を見る目をしていたので、あまり人間らしからぬ状態だったのだろうとは知れた。
「飢えているなら食わせてやったものを」
 武人がそう言って、クウヤはおやと思う。ハルモニアの人間は、自国民以外には寛容でないと思っていたが。しかし、武人の表情はたしかに自分を哀れんでいるようで、言おうか言うまいか迷って、結局口にした。
「…あなたがたに、恵んでもらえるとは思えなくて」
「そんな噂があるのか?」
 低音がひどく意外そうに響く。その表情は心底そう感じているようだ。もう一人、喋らない文官も、幾分かむっとしたような雰囲気だ。
「心外だな。我らは民のためにこそ、戦っているのだぞ。どこからそのようなことを聞いたのだ?」
「……」
 クウヤは押し黙った。話に聞いて想像していた姿とのギャップに、彼は静かに戸惑っていた。