結構な制度がありそれを利用し今回の計画をした。
10月16日(月)京都本願寺での亡き母の納骨法要後、夕方出発。
 中国自動車道三次インターで降りる。
54号線を雲南市方向へ行き、飯南町から184号線三瓶温泉を経て西の原に着く。
(途中何処かで仮眠)
17日  西の原から三瓶山一周コース
○西の原→子三瓶山→孫三瓶→太平山→女三瓶山→男三瓶山→西の原
走行約4時間30分

17日  大山下山キャンプ駐車場泊。
18日  大山ユートピアコース
○大山寺→下宝珠越→上宝珠越→ユートピア避難小屋→象ガ鼻
走行約6時間
18日  大山下山キャンプ駐車場泊
19日  三仏寺から三徳山
○ 三徳山参道入り口→三仏寺→文殊堂→投入堂(往復)
走行約1時間30分
19日 若桜氷ノ山キャンプ場泊
20日
○若桜氷ノ山キャンプ場→氷ノ越仙谷分岐→氷ノ山→仙谷登山口→キャンプ場
走行約3時間30分

それではその計画がどうなったか?
○第1日目 16日(月曜日

16日 04時30分出発・田舎に05時30分着。06時15分大型バスにてそれぞれの部落檀家の人を乗せながら佐用インターから京都南インターを経て西本願寺に10時30分着く
西本願寺では修復が進められている国の重要文化財御影堂を覆っていた工事用素屋根の解体が進み巨大な瓦屋根の大半が姿を見せていた。最終的に11万枚を超える瓦を葺き替える修復が行われている。平成23年に親鸞聖人750回法要に向けての大工事が進行中。
秋の親鸞聖人法要の最中でもあり多くの参拝客が訪れていた。
 大谷門主参加の講和と読経。昼食のあと大谷本廟での納骨読経。
納骨の儀式終了後、京都名物八橋みやげ販売店での買い物。14時30分京都東インターから中国自動車道佐用インター16時30分。
兄弟6名(妹は行けなかった)納骨の儀終了。
 田舎でお酒・姉からお餅・果物をもらう。
18時30分 佐用インターから広島県三次インターに向かう
七塚原SAでK子が造ってくれた稲荷すしや飲み物を飲み仮眠。 三次インターを朝の4時までに出るよう逆算して仮眠(ETCの深夜割引を利用する為 ちなみに2900円位だった)
○第2日目 17日(火曜日
 朝4時少し前に三次インターをでて国道54号線から大山隠岐国立公園の一部になっている
三瓶山に向かう。三瓶山西野原の広い草原の駐車場に駐車。
稲荷すしでの朝食。車で着替えをしていると、
一台の車が隣に停まり「三瓶山の登山口はどこですか?」私も今ついたばかりで「地図上は西の原定めの松になっているからこのあたりだとおもう」九州福岡久留米から来た人に「ご一緒させてください」と言われ行動を共にする。06時30分登山口。
登山道を少し登ると男三瓶と子三瓶との分岐になり赤雁山に向かい
子三瓶から草原のススキがきらめく中を孫三瓶に着く。広葉樹の登山道を大平山に着く。
次に行く女三瓶・男三瓶が目の前に聳え広大な裾野には紅葉が始まっている。
大平山には東の原からリフトで登ってきた広島からの観光客としばし話をする。
女三瓶・男三瓶に登ると直接、男三瓶に登ってきた私と同じ市に住む人に出会う。
 男三瓶から下山12時30分
 西の原の広い芝生ではグランドゴルフの大会があり露店まででて多くのひとが集まっている。
その人たちとも話をする。

(男三瓶山と子三瓶山)
 久留米の人は20日に東京で同窓会があり昨日は山口の山に登り今日はこれから加賀白山に向かうとのこと私より大分先輩だけれど元気だなあ。その人と別れ鳥取県大山に向かう。
 安来市で庭園日本一の触れ込みの足立美術館に入り生の掛け軸・生の額絵など田舎ならではの自然の山や風景を取り入れた庭園。館内は横山大観特別展示室があった。
幅の広い長い掛け軸これの掛けれる床の間の家はあるのかなあ。この掛け軸で我が家は何軒たつのかなあ。下世話な想像をしてしまう。
事業に成功し巨万の富を得、人々があっと驚く日本一といわれる日本庭園と美術館を、ふるさとに築いた足立さんは立派。
しかし、新雪の北アルプス常念岳から,流れる雲の中から現れた槍ヶ岳・穂高連峰はハット息を呑む荘厳ささえ感じる美しさだった。積雪の中何時間もかけて歩き見た
樹氷の美しさ・四季折々の渓谷美・秋の何万色もの紅葉など大自然に勝る庭園はない。(アダチサンゴメンナサイ)
 さてそれなりの目の保養をして大山下山キャンプ場に着くと、一人の先客が食事をしている。
話しかけると愛知県から今回40日ほど神社仏閣をみたりしているとのこと。
 田舎で頂いたお酒を飲み話をする。夜は満点の星がきらめいている。
明日もいい天気だろう。
○第3日目  18日(水曜日
 朝周りには何台かの車が停まっている。
愛知県からきた人は朝食を食べている。
準備をして大山夏山登山道を登る。静岡県から来た夫婦の人を抜きしばらくすると下山する人に会う。
4時から登りご来光を目的に登ったとのこと。
ランニング登山の若者に抜かれる。6合目避難小屋を過ぎ天気もよく快調。
天然記念物ダイセンキャラボクの中を木道が続く。空は青くキャラボクの緑に映える
弥山山頂には先客3人。途中一緒になった若い女性といろいろ話をする。街なかでは若い女性と話なんかしないけれど、山では話が盛り上がるから不思議だ。話をしたり食事をしていると静岡からの夫婦
愛知県からきたキャンプ場で一緒だった人も登ってきた。
皆で親しく話をして大山山頂の穏やかな空気に包まれる。

(大山から烏が山)
下山は5合目から行者コースを元谷・大山寺に下る。紅葉が美しい。

(ブナの紅葉)
 下山後時間も早いので鍵掛け峠登山口から鳥越え峠まで行ってみようかと登り始め何人かに出会うがブナの大木が倒れ乗り越えたり潜ったり、紅葉の林もよかったけれど途中で引き返す。
 再び大山寺を観たり僧兵コースを散策。隆盛を極めた頃の建物後などが点在している。
大山下山キャンプ場駐車場での泊まり。
○第4日目 19日(木曜日
 一旦国道9号線にでる。鳥取県大栄町には国道沿いに巨大な風車が何機も並び壮観。

(風力発電)
何年か前に夜通った時には全然気がつかなかった。
三朝温泉をへて三仏寺から三徳山へ行く。

(参道に書かれていた・身にしみる)
参道の急な石段を登る。途中の参拝受付案内所で入山料を払い、「六根清浄」と書かれた和袈裟を借り受ける。石段を登ると宝物殿があり国宝や重要文化財に指定された仏像などがある。
宝物殿の上には天台宗三仏寺がある。この寺の境内に登山口があり住所氏名連絡先の電話などを記入して登山開始。谷川に掛けられた朱塗りの宿入り橋を渡ると、かっての霊場を思わせる急斜面
急なのぼりになる。「かずら坂」と呼ばれる急坂で、張り出した木の根をたよりによじ登る。
 ブナ・カシ等の林を行くと景色が一変し大きな岩場があらわれる。鎖の設置された岩場を登りきると文殊堂に着く。文殊堂からの道は岩交じりの小尾根になる地蔵堂・鐘楼堂をすぎると馬の背・牛の背とよばれる狭い尾根に出る。岩で出来た狭い廊下のような尾根を登ると断崖に沿った道に変わり、納経堂・観音堂へと続く。観音堂は高さ数メートルの岩窟にすっぽり収まるように建てられたお堂。観音堂の奥を回って進むと、突然視界が開けて断崖絶壁に見上げるような場所に建つ三仏寺奥の院の国宝投入堂がある。
 参拝をする人も多いいけれどこのような厳しい道だとい思わなかったという人や、
前に転落してなくなった人もいる。

(国宝投入れ堂)
 想像していたよりは楽で上でしばらく話をして下山。丁度往復一時間受付の人は驚いていた。
鳥取県若桜町に向かう。途中、鹿野温泉に入り今回始めての入浴、髭もそりさっぱりとした。
29号線八東町は柿の産地で道の両脇は柿がたわわに実っている。
西条柿の箱入りを買う。
 若桜町ふるさとの森を少し進むと通行止め。車を停める。準備をして扇の山1310m)に登る。
登山口14時30分少し遅いので16時には登れなくても引き返そうと思って出発。
急いだので15時30分山頂に着いた。山頂にはログハウス風の立派な避難小屋が建っている。
 16時には登山口に下山することができた。林道を車を停めているところまで歩く。
 Oさん宅に寄る。いつも暖かく迎えてくださり、お酒・出来立てのお餅・烏賊とそれを焼く金串を頂く。若桜氷ノ山キャンプ場の駐車場で泊まる。
○第5日目(20日)最終日
朝登る準備をして歩き始めると品川ナンバーのクラウンが来て奥さんと旅行で鳥取駅前の温泉に奥さんを
待たして50分掛けて氷ノ山登りに着たという。
氷ノ山越えから氷ノ山山頂へ着く。翌21日・22日は氷ノ山紅葉登山大会が予定され各所に案内看板が立っている。

(氷ノ山登山道の紅葉)
頂上はあいにくガスがかかり視界が効かない。写真をお互いのカメラで写しいざ下山。大分下りた所で熊避けの鈴を落としたことに気がついた。
山頂でリュックを下ろしたところしか考えられないので引き返すことにする。
この鈴は娘の姑さんがスイスで私に買ってきてくれた品でなくするわけにはいかない

(紅葉の向こうが氷ノ山山頂)
思ったとおり山頂で待っていてくれた。
急いで下山し東京の人とも話をして別れた。
氷ノ山は中国地方では大山に次ぐ高峰。かっては「須賀の山」と
呼ばれていたが昭和10年(1935年)に現在の名称氷ノ山に改められた。やはり今回最後に氷ノ山に来て我が庭のようだ。
 最高の天気に恵まれ、多くの人とも出会い美術館や山めぐり
非日常の生活を体験し便利な世の中の有り難味を再認識し
今後の生活に張りを持って生きようと思う。
 すべての人にありがとう。



三瓶山・大山・三徳山・扇の山・氷ノ山