めくら鬼、めくら鬼、
めん眼がみえないごぞんじか、
くるくる三遍まァわって、
わたしをつかめてごらんなね、
こォろぶなころぶな、
だれでもいいからとっつかめ。
わたしはこっちだよ、とっつかまえたとおおもいか。
笑止 笑止、めくら鬼。
* * *
「何だ、あれは」
鼻を鳴らして、男が問うた。
その声に、気怠げに伏せていた瞼が上げられ、小さな背中が薄汚れた壁から離された。軽い軋みと共に、気配が緩やかに近づいてくる。
「何だって…?」
その声がいつもと違いはっきりと耳に届くのは、あの悪趣味な仮面をつけていないからだろう。
するりと隣に収まった彼は、陽光を嫌って目の上に手をかざし、ユーバーの視線の行方を追った。淡い金の睫にけぶる瞳が小煩げに眇められる。
昼の乾いた光が溢れる路上で、子供が五、六人ほど集まって輪を造っていた。のんびりとした掛け声に合わせて、握手をするように開いた手を差し出したり、拳を突き出したりしている。
しばらくそれを凝視していたルックは、やがてああ、と小さく言った。
「あれで鬼を決めてるんだ。鬼ごっこだよ」
その笑みから視線を外し、ユーバーは再び窓の外を見下ろした。
どうやら勝負に負けたらしい子供が、薄汚れた布を頭の後ろできつく縛り、目隠しをする。そうしてその場にしゃがみ込んで、大きな声で数を数え始めた。
いち、に、さん、し。その声を後ろに、他の子供たちは、ばらばらと蜘蛛の子を散らすようにそこらに駆けだしていった。笑いながら小さな影が交錯する。誰かがふざけて、鬼の子供に合わせて、ろく、と数えた。
「なんだそれは」
しち、と少し言いづらそうに、鬼の子供が叫ぶ。
「鬼を決めて、その子が他の子を捕まえるんだ。でも目隠しをしていて鬼は何も見えないから、他の子は手拍子をとる。手を叩くんだ。その音を頼りに、鬼は」
はち、…位置を決めた子供らが、互いに目配せしてはくすくすと笑っている。
「鬼は子供を捕まえる」
その言葉が、十を数えた子供の声に重なった。
数を数え終えた鬼の子供が立ち上がってふらふらと歩き出す。
途端にそこかしこから、誰々はあっちだ、こっちへは来るなと、手拍子が鳴り始めた。重なり合う声が歌う。鬼の子供はあちらこちらに足を動かす。そうすると、背後から囃したてる声が上がる。鬼の子供はぐるぐるとその場を回り続ける。
それを見下ろして、ユーバーは舌打ちでもするように言った。
「あんな馬鹿な鬼がいるものか」
「鬼なんてただの比喩だろう。気に入らないのか?」
ふ、と軽く息をつくように笑んで、ルックが窓枠に背を預けた。
肉を持たない輪郭の内側が常にも増して白い。
この宿の空気が肌に合わないらしく、寝泊まりするようになってからずっと、彼はほとんど寝台に伏せっていた。ユーバーにしてみれば軟弱以外の何ものでもなかったが、ルックが寝台に力無く俯せているのは、似合いすぎていて嘲笑う気にもなれない。
桟に置かれた顔と同じ白い手が、汚れた木から酷く浮いて見える。中指に填められた銀の輪が光を弾いた。その眩しさに、ユーバーは必要もないのに目を細めた。
「まあ確かに、鬼が見れば怒るかもしれないが」
唐突な言葉に、何かと思えば、彼はおかしそうにこちらに目を向けていた。その色合いから自分が鬼に例えられたことを知り、ユーバーは淡々と言い返す。
「お前はどうなんだ」
細い首筋が傾ぐ。
「さあ」
その声を掻き消すようにして、歓声が起こった。
宿の前の広場では、鬼の子供が誰かを捕まえたようだった。名前を当てた鬼の子供がただの子供になり、目隠しをその子供に渡す。
その交代劇はあまりにも呆気なく、あまりにも穏やかだった。
新しい鬼の子供は拗ねたように唇を尖らせながら目隠しをした。しゃがみ込んで数を数える。子供たちは、先刻よりも更にばらばらになって遠くまで逃げる。そしてまた手拍子が始まる。
めくら鬼の歌が風に運ばれて窓から流れ込んできた。
あまりの長閑さに、ユーバーは吐き捨てた。
「つまらない村だ」
明るく、平和だ。豊かとは言えないが多少の蓄えはあるし、村民には逞しい笑顔がある。この地に根を下ろし、狭い世界を肥えさせる力がある。
しかし、ユーバーにしてみれば、それだけだ。
長閑すぎるものは退屈だった。大抵の人間が、蟻が餌を巣に運ぶのを見てもたいした感慨を受けないのと同様のことだ。たまに命のしぶとさを思い知ることがあっても、心の深い底に沈んでいる琴線を揺らすようなことにはならない。
ルックは男の言いたいことを察したようだったが、さしたる反応をするわけでもなく、鬼ごっこに興じる子供たちを眺めていた。馬鹿馬鹿しいとも微笑ましいとも思っている様子もなく、ただ眺めていた。
前髪が微かな風に揺れる。
露わになった額は白い。
日射しも白かった。雲も白かった。空は青かった。
では、太陽は――
「めくら鬼の歌は恋歌なんだ」
唐突にルックが言った。
仰のこうとしていたユーバーは、予定を変更して彼を見下ろす。
軽く晒された白い咽、その下で、はだけられた服の隙間から覗いた鎖骨が緩く上下している。彼は生きるために呼吸が必要なのだ。ふとそれが奇異なことに思えた。
稀薄な喉仏が微かに動いて、言葉が綴られる。
「めくら鬼とはそもそも盲目の人という意味だ。それはもちろん比喩だが要するに、恋のために周囲が目に入っていない馬鹿ってことだ。追われる者は追われることを囃し立てて楽しんでいる」
「……」
沈黙を何と思ったのか、ふふ、とやけに可憐に笑んで、ルックは首を傾げる。
「叶わない恋をする者を嘲笑う歌なんだ。悪趣味だろう」
燦々と降り注ぐ日射しが、きめ細やかな肌を照らした。
しかし霞むその笑みは、儚いわけでもないのに病的で、台詞と酷くちぐはぐに映る。否、逆かもしれない。平和な農村、真昼の太陽を背にしても、その病に似た空気は変わらないのだ。
大人しいその発狂は、歯車がずれていく様に似ている。
ほんの些細な食い違いから、静かに、だが確実に狂っていく。
ユーバーは灰緑の瞳を見て言った。
「今のお前のようだな」
何が、とは敢えて言わなかった。
言う必要を認めなかったのだ。
ルックは意表をつかれたようにきょとんとして、それから氷が溶けるようにゆっくりと笑み崩れた。
その笑みは多分に苦いものを含んでいたが、掴み所のない形骸化したものではない。内側の深いところから滲み出すように自然な、嘲笑だった。
それが向けられたのは、もちろん、彼に笑みの原因をもたらした男ではなかった。
「それは、どちらが?」
悪趣味がか、それとも、叶わない恋に足掻く様がか。
しばらく声を殺して静かに自分を嘲笑っていた彼は、そう訊いた。ユーバーは答える義務はないと言わんばかりに鼻を鳴らして、色違いの双眸で子供らを見下ろす。
鬼の子供はまた交代したようだった。少女の小さな声が、囃す声に掻き消されながら届く。
「まるで食おうとしているように見えるぞ」
ルックが言った。
それを否定はしない。獲物を物色する鬼の目は確かに子供らが戯れる頭上にあるのに、彼らは気づかずに擬似狩猟にうつつを抜かしているのだ。
だが、そんなものに興味はなかった。
「食っても旨くないものは食わん」
人間の肉は不味い。肉も草も節操なく食糧とするからだ。総じて動物は、肉食よりも草食のほうが、臭みがなくて旨い。ユーバーは血の臭いを好んだが、それは悪食と同意義ではない。そもそも人間の言う『食事』などを摂らなくても、生きていくことができる。
食事とは擬態であり、擬態とは彼の趣味であった。それこそ悪趣味と言えたかもしれない。
「ふうん」
子供のような声を出して、ルックはふいとつまらなそうな顔になった。
その、泡が弾けるような呆気なさ。彼は一つのことに執着するあまり、時に他の全てに目隠しをする。その様はまるで、人間のようで、馬鹿馬鹿しかった。
「…お前は旨そうだが」
挑発と言うほどには殺気を込めず言い放つ。
「やめておけ。毒だ」
さらりとかわす。
風のようだった。
例え作られたものであろうが、後天的に素質を加えられていようが、自身が嫌っていようが、彼が宿す紋章を象徴する空気の流れに好かれ、また酷似していることは確かだった。
それを、知らない振りをしている。
本当に、気づいていないのかもしれない。
代わりにルックは別のことに気づいて、少しだけ目を見開いて首を傾げた。
「お前に効くような毒があるかは知らないが」
「お前に効く毒ならよかったな。共食いで片が付いたぞ」
蛇が互いの尾を食う抽象図を思い出し、そう言うと、
「……今日は随分、笑わせてくれるんだな」
くすぐったいように咽を鳴らし、ルックは老獪な仕草で顎に手を当てた。
まだ幼さの残る少年の顔立ちに似合わないはずの動きは、騎士の手に剣があるかのように馴染んだ。その端々に滲む疲れたような空気だけが年輪を表している。
「本当にそうなら、簡単に終わったんだけど」
紛れもなく本気の口調で言って、彼はすっと目を細める。
遠くを見つめる碧の虚ろは、そこだけが時を遡行して、使い古して擦り切れ、褪せた何かを映しているのだろう。傍観した無力を思い浮かべているのだろう。
それが真実、傍観であり無力であったのかなど、知る余地もない。
ユーバーは、非人間的な動きで首を巡らせ、子供らを見た。それしか見るものがなかったからだった。
隣で、ふ、と微かな溜息が漏れる音がした。
「…ぼくは、もう一眠りさせてもらう」
そう言うと、ルックは薄い瞼を半ばまで降ろし、寝台へと歩を進めた。薄い床板が悲鳴を上げる。靴紐を解かないまま寝台に腰を下ろし上体を横に倒すと、彼は乱れた掛布を引き寄せた。
ほんの一時の休息だった。
彼を慕う少女と手を組んだ青年は、今頃それぞれ別の場所で、壮大な自殺の仕掛けを施しているはずだった。青白い顔を気遣った忠臣のような少女は師へ無理に休息を求め、淡々と青年が同意した。そして万が一のことがあっては、と護衛として人外の男を残した。
その滑稽さに気づいていないわけではないだろうに。
「二人が帰ってきたら…」
儀礼的に起こしてくれと頼もうとして、ルックはその愚かさに言葉を切った。
ユーバーが頼みを聞き入れるはずもなく、二人が帰ればルックを起こさないはずもなく、それ以前に、帰ってくれば彼にわからないはずがなかった。
彼の右手に宿る紋章は、他人の気配にことさら過敏に反応するのだ。時には宿主が眠る間に近づいた人間を切り裂く。本人も与り知らぬところで人を殺すのだった。
だから、彼の眠りは浅い。
「………おやすみ」
宙に浮いた言葉を強引に収束させると、ルックは枕に頭を埋めた。
奇妙な響きのその挨拶に、ユーバーは知らず、彼を凝視した。それが人間的なだけに不似合いな、反面、酷くしっくりとくる台詞に聞こえたのだ。
彼は時折、温度を垣間見せる。
そんな時感じるのは、一筋の光明のような、希望に満ちた違和感だ。
ユーバーは、今ここに少女らがいればどんな顔をしたかと皮肉に考え、過ぎった思考を打ち消した。
「…なんだ、一緒に寝るか?」
視線に気づいたのか、ルックが薄く目を開き、微かに口元に笑みを刻んで尋ねた。
添い寝に誘う笑えない冗談には答えず、男はふと彼らしくもない、埒のあかない思考を再び蘇らせた――乞いなど知らぬげに微笑むかのような歌が、やはり彼のようだなどと。
そして舌打ちして、視線を窓の外へと戻した。
鬼ごっこに興じる子供の輪を眺める。くるくると無様に回る鬼の子供を眺める。次々と回される目隠しを、笑顔で逃げまどう子供らを、笑顔で追う鬼の子供を、眺める。
ルックが眠っているような声を投げてきた。
「気に入ったのか」
「…くだらん」
そう言いつつも、ユーバーは窓辺から動こうとしない。
「暇なんだな」
軋むように笑って、ルックは目を閉じた。