旅 は 道 連 れ

 私は最近、ある人間と旅をしている。
 彼の名はイオと言って、男というよりは少年といったほうが正しい、幼い外見を持っている。黒目黒髪の、まあ一般的な人間だ。少なくとも角は生えていない。
 私が彼と出会ったのは戦の最中だった。
 その戦が原因で長年の相棒を亡くした私は、何の因果か、戦場――正確には戦いの真っ最中だったわけではないが、とにかく、そこで偶然出会ったイオと旅をすることになった。
 もちろん私としては、もっと人生経験を積んだ人間と旅を続けたかった。こんな青二才と組むくらいならば、一人でいたほうが気楽だとさえ思った。
 しかし、旅は道連れともいう。イオはなかなか腕が立ったし、旅の連れに悪くはなかった。
 それに互いの条件が合致してしまったので、私たちは共に旅をすることになった。
 イオは、どこでもいいから、とにかく旅をしたいと言った。イオも大切な人間を、同じ戦で亡くしていた。一方私は、ひとつの場所に、特に相棒を亡くしたその地にはとどまりたくなかった。妙な感傷があったわけではない。縁起をかつぐわけでもない。ただ、なんと言おうか、私はつまり、そういう性格なのだ。
 私とイオは気が合うわけではなかったが、それなりに友好状態を保ってこれまで旅を続けてきた。
 もっとも、かつて一度だけ訪ねてきた、イオの知人だか友人だか仲間だか愛人だかが言った、
「あんたら案外気が合ってるんじゃないの」
という言葉には、さすがに反論させてもらったが。
 いや、本気で怒っていたイオと違って、私はもちろんそれが冗談だとわかっていた。あんな若造と一緒にしないでもらいたい。

 まあ私たちの出会いなどどうでもいい話だ。
 私たちは今、ある鄙びた村にいる。大乱が終わったとはいえ、まだそこここで小規模な反乱が続いている中、やけに平和な村だった。
 まだ若いイオなどは物足りないようだが、私は大変この村が気に入った。村民たちは笑顔で働き、自分たちの生きる糧を得る作業の合間、ささやかな喜び、例えば少量の麦酒だとか些細な賭けごとだとかだが、そんなものを謙虚な姿勢で楽しんでいる。
 これこそが、人間の在るべき姿という奴なのかもしれない。戦争などというものも、人間にとって絶対に必要でないものならば、切りすててしまえばいいのだ。それができないから人間なのだろうし、実際にそんなことになれば私たちとしては商売あがったりなのだが、夢を見るくらいは許されてしかるべきことだろう。ちなみに、私が夢を見るわけではない。
「暇だ」
 私が宿の窓の外に空を見ているとき、寝台に横になったイオが呟いた。
 私が無言でいると、彼はごろりと寝返りを打って、
「暇だ暇だ暇だ暇だー」
と何度も言って寝台の上を転がった。
 私は黙っていられず、つい彼に構ってやってしまった。
「そんなに暇なのか」
「暇」
「ならばこの村を出ればよかろうに」
「あーでもなー」
「何だ」
「ルックと待ち合わせたからなー」
 ルックとは、最前言った、イオの知人だか友人だか仲間だか愛人だかの名である。
 もしそうならば、私は少し嬉しい。ルックはイオよりも若く――この場合は幼いというべきだろうか。とにかく言動がいちいちかわいらしいし、何よりうつくしいので、目の保養になる。人間は見た目ではない。だが、たまには見目よいものを目に入れておきたいのだ。
 それにもうひとつ目的があるのだが、それは話には関係ない。
「あー早く来いー。暇だ」
「無茶を言うな」
 聞けば、ルックはとある女性の元に弟子入りしていて、その女性は盲目であるらしい。ゆえに、彼女の生活の世話もルックの役目なのだ。
 目の見えない女性を放り出しておくのは良くない。男性差別をするつもりはないが、「女性には親切にするものである」と前の相棒が散々口を酸っぱくしていたので、それがいつの間にか私にも染みついていたようだ。そう思うと、本当に前の相棒とは長い間組んでいたものだ。
 私がそうやってしんみりと彼との思い出に浸っていると、
「暇だ」
 イオはそう呟いて、ぱたりと枕に俯せた。
 私は彼が窒息するのではないかと、少しだけ心配したが、よく考えなくてもそんなやわな人間ではないので、放っておくことにした。

 夕闇が重く山にのし掛かる。
 あれからイオは本当に眠ってしまい、私は窓の外がじわじわと色を変えていくのを見守っていた。橙と蒼が混じり、素晴らしい紫を生み出している。この時刻の空は、言葉に表せないような魅力を持っていると思う。自然とはうつくしいものだ。
 イオが寝台の上で身じろぎする。私は黙っていた。
「……」
 彼は無言で起きあがると、私に挨拶もなく寝台を離れて扉を開く。
 途端に、肉を焼く匂いが流れこんできた。そう言えば飯がまだだったことを私は思いだした。
 イオと共に、私は階下に降りた。と言っても、私には食べるつもりはない。まあつき合いのようなものである。そう考えると、私は実にいい奴だ。もし他人だったら勲一等を捧げてやりたいほどである。
「お客さん」
 イオが席に着いて適当なものを頼むと、宿の主人が声をかけてきた。
「昼ごろに訪ねてきた方から、預かりものがありますが…」
 無言で眉を寄せて、イオは主人が差しだした手紙を受けとった。そこらにあったらしい適当な紙に、適当な筆で書いたような走り書きだ。
 それには『キャンセル』と書かれていた。
「…………」
 長い沈黙のあと、イオは眉根を指で押さえた。怒りをほぐすように押し揉む。
「お客さん?」
「…いや、なんでもない。それより飯を頼む」
「はあ」
 主人を追いはらうと、イオはもう一度紙を隅から隅までを睨むように見渡し、その一言以外には何もないことを確認すると無言でびりびりと紙を破いた。それから長い長い溜息を吐く。
 私は言った。
「通算十七回目だな」
 キャンセルが。
 イオは無言だった。
 その後、不機嫌を大気中に音高くばらまきながら、イオは食事をすませた。宿の主人が怯えていた。

「暇だ」
 イオはまた呟く。部屋に戻って、彼はやはり、寝台の上でごろごろしていた。
 私は真っ暗になってしまった窓の外を見ていた。ちらちらと白い点がある。私は星は、あまり好きではない。夜空は美しいのだから、無駄なものを浮かべるべきではないと思う。
 夜は静かだ。
 しばらくそうしていると、イオが不意に立ちあがり、寝台の脇や枕元、机の上に置いてあった持ちものを袋の中に放り込み始めた。必要最低限のものをのぞけば、主にがらくただ。
「退屈だ」
 イオは唐突に言った。
「明日ここを出る」
「私は気に入っていたのだが」
「もっと騒がしいところに行く」
「騒がしいところに行っても、自分が寂しくないとはかぎらないだろうに」
「でなければ釣りができるところだ」
「ここには河がなかったからな」
「だいたい来たんなら顔くらい見せろっての」
「まさにその通り」
「お前なんか知るか薄情者ー!」
「同感だ」
 せっかく目の保養ができると思ったのに。
 イオは荷物をまとめ終えた。
 こういったとき私にできることはない。黙って見守るだけだ。
 最後に愛用の棍を抱えて、寝台に横になって毛布を被る。常に用心を怠らない点では、イオは野生の獣のようだ。
「…ま、最初から期待はしてなかったが」
 深い溜息。
 何かを諦めるような声音だった。
 イオはいつでも何かを諦めている。
「人生諦めてばかりでは、何もつかめないぞ」
 何十億年の重みを帯びた私の言葉は、しかしイオには届かない。いつものことだが。
「……あーあ」
 最後にイオはそう嘆息した。私は何も返さなかった。
 蝋燭の炎がかき消され、室内は闇に満たされた。窓の外の遠くには民家の灯りがひどく小さく見えたが、それもやがて、消え去るだろう。
 待ち望んだ色がそこにはあった。ただ一面の漆黒。月の光も星の明かりも乏しすぎて、それを照らすことはかなわない。
 今日は新月で、世界を満たすのは闇だ。そしてそれは、私の時間だ。
 私は彼の右手から這いだした。眷属に忍びこみ、闇を渡る。人間が水の中を泳ぐように、それはなかなか、快適な時間だ。
「おやすみ、宿主」
 一応、眠るイオに声をかける。
 気遣いは人間関係を円満にする。そうテッドが言っていた。彼は楽しい主だった。もっとも、今は私の腹の中だが。
 ぼんやりとそんなことを思いながら、私は闇に溶けた。闇は私を歓迎し、恭しく迎えいれた。