連戦連敗、出ると負け、向かうところ味方なし。
相変わらず連敗街道をまっしぐらの我らジャッカス。
ところが、そんなジャッカスにも、本人達自身、
信じられないくらい勝った時期がある。
世の中全体、わけへだてなく時が過ぎ、ジャッカス・
メンバーも就職の年を迎えた。 各自がいろんな職に
つきだした。
状況は変わっても、ジャッカスは結束力良く草野球を
続けていた。
そんな中、なんとエース件監督のオッチャンが仕事の
都合で東京に行ってしまった。 大黒柱不在にもめげず、
ジャッカスは持ち前の助っ人動員力を生かし、なんとか
活動を続ける。
この時、まさにあの伝説の 「石井さん」 が登場するのだ。
現在もそうだが、その当時、加古川、高砂の草野球は
かなり盛んに行われ。 大会への参加チームもかなりの数に
昇った。
必然、強いチームは勝ち残り、毎週の如く試合を重ねるのだが、
我々のように一回戦負けを常とするチームは次の大会が始まるまで、
なかなか試合が廻ってこない。
そんなチームはジャッカスだけではないらしく、弱い者同士が
集まって、市の大会とは別に 「イースタン・リーグ」 と銘打った
いわゆるマイナー・リーグが結成された。
これに運良く参加した我らジャッカス。 他チームに比べ、
若干のキャリアの差を持つわれら。 苦手とする、こわーい審判も
いない。 のびのびとプレーする。
そこに来て、確か岩本の知りあいだったと思うが、前述の
「石井さん」が助っ人として登場する。
左投げ左打ち。 エース・オッチャンの代りにマウンドに上がっ
た彼の左腕から繰り出される剛球は、打者のバットをかすらせも
せず、時折織り交ぜるカーブは大きく割れて、打者を幻惑する。
打席に立てば、外野ネット直撃の大ホームラン。 江夏とバースを
足して2で割らずにジャッカスに来たような格違いの活躍を見せる。
この大活躍に後押しされたジャッカスは、連戦連勝。
イースタン・リーグで、あわや優勝というところまで破竹の快進撃。
優勝すると来シーズンの幹事役が廻って来ると聞いて、手綱を緩める。
結局準優勝。 いやぁー、まさに神様、仏様、「石井さん」 でした。
その年以降、縁なく 「石井さん」 が、ジャッカスの助っ人に来て
くれる事はなくなってしまったのですが、その頃には、無事
オッチャンが東京から帰り、エースが復活したジャッカスは、
その後も楽しく草野球を続けました。
えっ? その後の戦跡はどうだったかって?
破竹の快進撃はまだまだ続いたのかって?
そんなもん、エースが無事に帰ってきたんやから
どうでも、ええやんか。