連続短編小説  それゆけ弱化す

 その9  「8番  ライト  高須」  (1999.12.29)

  数学という学問は思考する能力を養うために行う。 我々のように
公式を覚え、それに当てはめて答えを算出するのが数学だという考え
はぜんぜん見当違いである。  問題を分析し、必要なものを導き出す
にはどのようにすれば良いか?  その方法を模索する思考力、及び
常にそう行った視野に立つ事を身につけるのが数学である。
 
 数学を好きになるかどうか、又、得意になるか否かはこの基本的な
ところで勘違いするかどうかにかかる。 最初に道を間違え、そのまま
6,3,3で12年を無益に過ごすと、脳の発達に大きな差を生じる。
プロの将棋士などこの良い例だ。 彼らの記憶力等、常人には信じが
たいが、前述のようなトレーニングにより脳の違った部分が目覚めて
いるに相違ない。
 
 欧米人に比べ、日本人は創造力が乏しいと良く見聞きする。 こんな
話を聞いた事がある。 スポーツにおけるトレーナーの役割について
なのだが、日本ではケガを隠したり、痛みをこらえて試合を続ける姿に
感動し、賞賛するところがある。 トレーナーもケガを治療すること、
痛みを和らげることをその目的と考えがちである。 それに対し欧米では
いかにケガをさせ無いかということが目的なのだそうだ。 故障をしない
ように筋肉を鍛え、ケガを防ぐためにテーピングをする。 やはり根本的
に考え方が違う。 
  
 日本、欧米に優劣をつける気はない。 が、同じように人間として生まれ
遅かれ早かれ同じように死ぬのであれば、自身に潜在する能力はひとつでも
多く目覚めさせるべきではないか? 数学は学問のなかでそんな効能を
持つものの一つだ。
 
 この数学に高須はめっぽう強い。 将棋も強い。 記憶力も良い。 やはり
脳の目覚め方が違うのであろう。 が、しかし、運動は別人のように弱い。
ジャッカスへの参加もいやいやだった。 人数が足りないのでオッチャンに
無理やり引っ張り込まれた。 義理堅いやつだ。 そんな彼には、やはり
このポジションしかない。
 
 
       「8番  ライト  高須」
 
 
                   彼は、参加することに意義がある。