『山月記』 (中島 敦)   訳:前川       2006.8  Ver.1.0


 『山月記』訳に当たって

 今回、山月記を訳してみました。難しいのは冒頭部分ぐらいかとは思ったのですが、いちおう、小学生でも読めるぐらいと思って、言葉の美しさ、リズムのよさ、といったことよりも、わかりやすさを意識してみました。



山月記

 隴西(ろうせい)出身の李徴(りちょう)は、たいへん物知りで、非常に才能にも恵まれていたが、天宝の最後の年、まだ年少でありながら上級国家公務員の採用試験である「科挙」に合格してその名前を合格者掲示板に載せられ、さらに江南地方の兵事や刑獄などをつかさどる役人に任命された。しかし、その性格は、頑固で人と調和せず、プライドがとても高く、下っぱ役人の地位では満足しなかった。
 いくらも経たないうちに役人の仕事をやめた後は、故郷の、q略(かくりゃく)に帰ってひっそり生活し、他人とのつきあいを絶って、ひたすら漢詩ばかり作っていた。身分の低い役人になって、長い間、品のない上司の言いなりになるよりは、詩人として有名になって、名を死後百年にまで残そうとしたのである。
 しかし、詩人としての名は簡単には広まらず、生活は日を追って苦しくなっていった。
 李徴は、だんだん追いつめられ、焦ってきた。
 このころから、見た目も厳しく険しくなり、顔の肉がそげ落ち、骨が飛び出し、目の光だけがむやみに鋭く光って、以前進士の試験に合格した頃の、ほおのふっくらとした美少年の面影は、どこにも見ることができなかった。
 数年の後、貧乏暮らしに耐えかねて、妻子の生活のために、ついにあきらめて、再び東方の都へ行き、ある地方役人の職をもらうことになった。
 一方、これは、自分の、詩人としての将来に半分絶望したためでもある。
 以前、同期であった仲間は、もう、はるか高い地位に進み、彼が昔、のろまでにぶい平凡なやつと思ってまったく相手にもしなかった連中の命令をありがたく受けなければならないことが、昔の秀才李徴の自尊心をどれほど傷つけたかを想像するのは簡単なことである。
 彼は、ふさぎ込んで何をしても楽しい気分になれず、狂気じみてわがままな性格はますます抑えにくくなっていった。
 一年後、仕事で旅に出、汝水という川の近くに泊まったとき、李徴はとうとう発狂した。
 ある日の夜中、急に顔色を変えて寝床から起きあがると、何か訳の分からないことを叫びながら、そのまま下に飛び降りて、闇の中へと駆け出した。
 彼は二度と戻ってこなかった。近くの山や野原を探しても、何の手かがりもなかった。その後、李徴がどうなったかを知っている者はだれもいなかった。

 次の年、監察御史(かんさつぎょし)をしていた陳郡の袁さん(えんさん)という者が、王の命令で使者として嶺南(れいなん)へ行った時のこと、途中、商於(しょうお)という土地で宿泊した。袁さんが次の朝まだ暗いうちに出発しようとしたところ、土地の役人が言うには、「ここから先の道には人食い虎が出るので、旅人は昼間でなければ通れません。今はまだ朝が早いから、もう少しお待ちになるのがよろしいでしょう。」と。しかし袁さんは、家来たちも何人もいるから大丈夫だろうと、役人の言うことを聞かずに出発した。沈みかけた月の光を頼りにして、林の中の草地を通っていったとき、役人が言ったとおり、一匹の虎が草むらの中から飛び出した。虎は、今にも袁さんに飛びかかるかと思われたが、さっと体を反転させて、もとの草むらに隠れた。草むらの中から人間の声で、「危ないところだった。」と繰り返しつぶやくのが聞こえた。その声に袁さんは聞き覚えがあった。驚きながらも、彼はすぐに思い当たって叫んだ。「その声は、友の李徴氏ではないか?」 袁さんは李徴と同じ年に、国家公務員「進士」になり、友人の少なかった李徴にとっては、最も親しい友であった。おだやかな袁さんの性格が、けわしい李徴の性格とぶつからなかったためだろう。
 草むらの中からは、しばらく返事がなかった。忍び泣きかと思われるかすかな声がときどき漏れるだけである。しばらくして、低い声が答えた。「お察しのとおり自分は隴西の李徴である。」と。
 袁さんは恐怖を忘れ、馬から下りて草むらに近づき、懐かしげに久しぶりの挨拶を交わした。そして、なぜ草むらから出てこないのかと尋ねた。李徴の声が答えて言う。自分は今はもう人間ではない体となっている。どうして、恥ずかしげもなく昔の友の前にみじめな姿をさらせるだろうか(さらせない)。それにまた、自分が姿を現せば、必ず君に恐怖や憎み嫌う気持ちを起こさせるに決まっているからだ。しかし、今、思いがけなく昔の友に会うことができて、自分を恥ずかしく思う気持ちも忘れるほどに懐かしい。どうか、ほんのしばらくでいいから、今の私のみにくい姿をいやだと思わず、昔、君の友李徴であったこの自分と話をしてくれないだろうか。
 後で考えれば不思議だったが、そのとき、袁さんは、この不可解な出来事を、ほんとうに素直に受け入れて、少しも不思議に思わなかった。彼は部下に命令して行列の進行を止めさせ、自分は草むらのそばに立って、見えない声と話し合った。都のうわさ、昔の友たちが今どうしているか、袁さんの現在の地位、それに対する李徴の祝いの言葉。青年時代に親しかった者同士の、あの壁のない調子で、それらが話された後、袁さんは、李徴がどうして今の姿となってしまったのかを尋ねた。草むらの中の声は次のように話した。

 今から一年ほど前、自分が旅に出て汝水(じょすい)の近くに泊まった夜のこと、一眠りしてから、ふと目を覚ますと、家の外でだれかが自分の名前を呼んでいる。呼ばれるまま外へ出てみると、声は闇の中から何度も何度も自分を呼ぶ。思わず、自分は声のするほうへ走りだした。夢中に駆けていくうちに、いつのまにか山林に入り、しかも、知らない間に自分は左右の手で地面を蹴って走っていた。何か体じゅうに力が満ちあふれたような感じで、軽々と岩石を跳び越えていった。気が付くと、手の先やひじの辺りに毛が生えているらしい。少し明るくなってから、谷川の水に自分の姿を映してみると、もう虎になっていた。自分は初め自分の目を信じなかった。次に、これは夢に違いないと考えた。夢の中で、これは夢だぞと知っているような夢を、自分はそれまでに見たことがあったから。どうしても夢でないと自覚しなくてはならなかったとき、自分はあっけにとられて何も考えられなくなった。そうして恐れた。まったく、どんなことでも起こるのだと思って、深く恐れた。しかし、なぜこんなことになったのだろう。わからない。まったく何事も我々にはわからない。理由もわからずに、押し付けられたものをおとなしく受け取って、理由もわからずに生きてゆくのが、我々生き物の運命だ。自分はすぐに死ぬことを考えた。しかし、そのとき、目の前を一匹のうさぎが駆け過ぎるのが見えた。そのとたんに、自分の中の人間はたちまち姿を消した。再び自分の中に人間の意識が戻ったとき、自分の口はうさぎの血にまみれ、辺りにはうさぎの毛が散らばっていた。これが虎としての最初の経験だった。それ以来今までにどんな行いを繰り返してきたか、それは情けなくてとても語れない。ただ、一日のうちに必ず数時間は、人間の心が戻ってくる。そういうときには、以前と同じく、人の言葉も使えるし、難しいことを考えることもできるし、四書や五経の言葉をそらで言うこともできる。その人間の心で、虎としての自分の残忍な行いの跡を見、自分の運命を振り返るときが、最も情けなく、恐ろしく、腹立たしい。しかし、その、人間に戻る数時間も、日がたつにつれてだんだん短くなっていく。以前は、どうして虎などになったかと疑問に思っていたのに、この間ふと気がついたら、おれはどうして以前人間だったのか、と考えていた。これは恐ろしいことだ。あと少したてば、おれの中の人間の心は、獣としての習慣の中にすっかり埋もれて消えてしまうだろう。ちょうど、古い宮殿の土台がだんだん土砂に埋もれていくように。そうすれば、しまいにおれは自分の過去をすっかり忘れ去り、一匹の虎として狂い回り、今日のように道で君と出会っても友であるともわからなくなり、君を裂いて食ってなんの悔いも感じないだろう。そもそも、獣でも人間でも、もとは何かほかのものだったんだろう。初めはそれを覚えているが、だんだん忘れてしまい、初めから今の形のものだったと思い込んでいるのではないか? いや、そんなことはどうでもいい。おれの中の人間の心がすっかり消えてしまえば、おそらく、そのほうが、おれはしあわせになれるだろう。それなのに、おれの中の人間は、そのことを、この上なく恐ろしく感じているのだ。ああ、全く、どんなに、恐ろしく、悲しく、切なく思っているだろう! おれが人間だった記憶のなくなることを。この気持ちはだれにもわからない。だれにもわからない。おれと同じ身の上になった者でなければ。ところで、そうだ。おれがすっかり人間でなくなってしまう前に、一つ頼んでおきたいことがある。
 袁さんたちは、息を殺して、草むらの中の声の語る不思議に聞き入っていた。声は続けて言う。
 頼みというのはほかでもない。自分はもともと詩人として名を残すつもりでいた。しかし、その目的がまだ達せられないうちに、こういう運命になった。昔作った詩は数百編、当然のことながら、まだ世間に知られてはいない。置いてきた漢詩の原稿の行方ももう今ではわからなくなっているだろう。ところで、そのうち、今もなお覚えていてそらで言えるものが数十編ある。これらを記録して伝えていただきたいのだ。なにも、これによって一人前の詩人のふりをしたいのではない。出来ばえは別にして、とにかく、財産を食いつぶし、気を狂わせてまで自分が生涯こだわったものを、たとえ少しでも後の世に伝えなくては、死んでも死に切れないのだ。

 袁さんは部下に命令して、草むらの声の言う通りに書き取らせた。李徴の声は草むらの中から高らかに響いた。長いもの短いもの合わせて三十編ほど、格調は高く、オリジナリティにも優れ、ちょっと聞いただけで、作者の才能が並みではない、と感じさせるものばかりである。しかし、袁さんは感心しながらもぼんやりと次のように感じていた。なるほど、素質としては一流であることはまちがいない。しかし、今のままでは、作品として一流になるのには、どこか(非常に微妙な点で)足りないところがあるのではないか、と。
 昔作った詩を言い終わった李徴の声は、突然、自分自身をばかにするような調子に変わって言った。
 恥ずかしいことだが、今でも、こんなみじめな姿に成り下がった今でも、おれは、おれの詩集が長安の文化人たちの机の上に置かれている様子を、夢に見ることがあるのだ。ほら穴の中に横たわって見る夢にだよ。笑ってくれ。詩人になり損なって虎になった哀れな男を。(袁さんは昔、青年だったころの李徴の、自分をばかにする癖を思い出しながら、悲しく聞いていた。)そうだ。笑い話のついでに、自分の今の思いを即席の詩に作って述べてみようか。この虎の中に、まだ、昔の李徴が生きているしるしに。
 袁さんはまた下っぱの役人に命じて書き取らせた。その詩は次のとおりである。

  何の前ぶれもなく気が狂い、獣の姿となった
  わざわいが取りつき、逃れることもかなわない
  いまや爪や牙が生え、私に対抗できる者はない
  人間であった当時は名声・実績ともに高かった
  自分は虎となって雑草の中にいるが
  君はもう出世して権勢(けんせい)も盛んである
  今夜も、険しい山、明るい月に向かい
  漢詩を歌うかわりに、ただ吠(ほ)えるばかり

 さて時間はというと、沈みかけた月の光は冷ややかで、露は草や地面にたくさん降りており、木々の間を吹きすぎていく冷たい風は、もう夜明けが近いことを教えていた。人々はもう、事柄の不可解さを忘れ、おごそかな気持ちになって、この詩人の不幸を嘆いた。李徴の声は再び続ける。
 なぜこんな運命になったかわからないと、さっきは言ったが、しかし、考えようによれば、思い当たる理由がないわけでもない。人間であったとき、おれはできるだけ人とのつきあいを避けた。人々はおれに対して「えらそうにしている」「態度がでかい」と言った。実は、それがほとんど自分を恥じる気持ちに近いものであることを、人は知らなかった。もちろん、以前、郷里の鬼才と言われた自分に、高いプライドがなかったとは言わない。しかし、それは「こわがりのプライド」とでも呼ぶのがふさわしいものであった。おれは詩によって名を後世に残そうと思いながら、積極的に先生について学んだり、自分から目的を同じくする詩の友とつきあって能力を磨きあうことをしなかった。かといって、また、おれは凡人にまぎれて生きることにも満足しなかった。どちらも、おれの「こわがりのプライド」と、「えらそうな恥ずかしがり」とのせいである。自分に才能がなかったらと心配なために、努力して能力を向上させようともせず、また、自分には才能があると半分は信じていたために、凡人の中にまぎれてぼんやり生きることもできなかった。おれはだんだん世間や人とつきあわなくなり、悩み・苦しみや恥ずかしさによってますます自分の心の中にある「こわがりのプライド」を大きくさせてしまった。「人間はだれでも猛獣使いであり、その猛獣に当たるのが、その人の性格や心のあり方だ」と聞いたことがある。おれの場合、この「えらそうな恥ずかしがり」という性格が猛獣だった。虎だったのだ。これがおれをだめにし、妻子を苦しめ、友人を傷つけ、最後には、おれの外形をこのとおり、内心にふさわしいものに変えてしまったのだ。今思えば、まったく、おれは、おれの持っていたほんの少しの才能をむだに使ってしまったわけだ。「人生は何もしないでいるには長すぎるが、何かをするには短すぎる」などと忠告の言葉を口先だけでもてあそびながら、実際は、才能が足りないことが表れてしまうかもしれないとのひきょうなおそれと、努力をいやがる怠け心とがおれのすべてだったのだ。才能的にはおれよりもはるかに下でありながら、それを一生懸命に磨いたために、立派な漢詩人となった者がいくらでもいるのだ。虎に成り下がった今、おれはやっとそれに気が付いた。それを思うと、おれは今も胸を焼かれるような後悔の気持ちを感じる。おれにはもう人間としての生活はできない。たとえ、今、おれが頭の中で、どんな優れた詩を作ったにしたところで、発表できる手段もない。まして、おれの頭は日が経つごとに少しずつ虎に近づいていく。どうすればいいのだ。浪費されてしまったおれの過去は? おれはいてもたってもいられなくなる。そういうとき、おれは、向こうの山の頂上の岩に駆け上がり、何もない谷に向かってほえる。胸を焼くようなこの悲しみをだれかに訴えたいのだ。おれはゆうべも、あそこで月に向かってほえた。だれかにこの苦しみがわかってもらえないかと。しかし、獣たちはおれの声を聞いて、ただ、恐れ、ひれ伏すだけだ。山も木も月も露も、一匹の虎が怒り狂って、ほえているとしか考えない。空にジャンプし、地面に突っ伏して嘆き悲しんでも、だれ一人おれの気持ちをわかってくれる者はない。ちょうど、人間だったころ、おれの傷つきやすい心をだれもわかってくれなかったように。おれの毛皮がぬれたのは、夜露のせいだけではない。
 やっと辺りの暗さが弱くなってきた。木々の間をぬって、どこからか、夜明けを告げる角笛(つのぶえ)の音(ね)が悲しそうに響き始めた。
 今はもう、別れを告げなくてはならない、酔わなくてはならないときが、(虎にかえらなくてはならないときが)近づいたから、と、李徴の声は言った。だが、お別れする前にもう一つ頼みがある。それは私の妻や子のことだ。彼らはまだq略(かくりゃく)にいる。いうまでもなく、おれの運命については知るはずがない。君が南から帰ったら、李徴はもう死んだ、と妻や子に伝えてもらえないだろうか。決して今日のことだけは言わないでほしい。厚かましいお願いだが、彼らの弱い立場をかわいそうに思って、今後とも道端で飢えたり凍えたりすることのないようにとり計らっていただけるならば、自分にとって、これ以上ありがたいことはない。
 言い終わって、草むらの中から大きな泣き声が聞こえた。袁さんもまた涙を浮かべ、喜んで李徴の希望どおりにすることを答えた。しかし李徴の声はすぐにまたさっきの自分をばかにする調子に戻って、言った。
 本当は、まず、このことのほうを先にお願いしなくてはならなかったのだ、おれが人間だったなら。飢え凍えようとする妻子のことよりも、自分の成功の見込みもない漢詩のことばかりに気をとられているような男だから、こんな獣に身を落とすのだ。
 そうして、付け加えて言う、袁さんが嶺南(れいなん)から帰る時には絶対にこの道を通らないでほしい、そのときには自分が酔っていて(人間の心をなくしていて)友と見分けられずに襲いかかるかもしれないから。また、今別れてから、前方百歩(訳者注:今でいうと136mだとか。感じでいうと1kmぐらいは必要そうに思いますが)の所にある、あの丘に上ったら、こっちを振り返って見てほしい。自分は今の姿をもう一度お目にかけよう。勇ましいところを自慢しようとするのではない。みにくい自分の姿を示して、それによって、帰りにまたここを通って李徴に会おうという気持ちを君に起こさせないためである、と。
 袁さんは草むらに向かって、ていねいに別れの言葉を言い、馬に上った。草むらの中からは、また、がまんできないというような悲しみの泣き声が漏れた。袁さんも何度も草むらを振り返り、泣きながら出発した。
 袁さんたちが丘の上に着いたとき、彼らは、言われたとおりに振り返って、さっきの林の草むらを眺めた。するとすぐに、一匹の虎が草の茂みから道の上に飛び出したのを彼らは見た。虎は、もう白く光を失った朝方の月を見上げて、二、三回吠(ほ)えたかと思うと、また、もとの草むらに飛び込んで、二度とその姿を見せなかった。