傾国

仇は仇にて

 疲労困憊して、ルルーシュはクラブハウスの自室に戻った。湿った匂いが充満している。居候は性懲りもなくピザばかり食べているらしい。彼女に声をかけることもせず、まず窓に向かった。換気扇などでは間に合わない。
「寒いだろ」
 C.C.は持ち手に手がかかる前から抗議した。
 窓を全開にしてから振り返ると、C.Cはぶつぶつ言いながら、クローゼットから学校指定のコートを取り出して着込んでいた。シャツの裾から伸びる脚に、シーツがぐるぐると巻き付けられる。
「なんで人の服を着るんだ、お前は!」
「他にないからに決まっているだろう」
 C.Cは鼻を鳴らして軽侮した。ここは決してバカにされる場面ではないはずだと、ルルーシュは奥歯を鳴らす。
 ルルーシュは今日、心底疲れていた。
 せっかくスザクが顔を出したというのに、彼はなんだか妙な行動を取るし、ミレイにはまたからかわれた。ルルーシュはからかうことが好きだったが、その逆はあまり好きではなかった。ひどく疲れるのだ。
 帰ると望みもしない居候が、腐りそうな匂いを部屋に持ち込んでいる。彼女はピザの箱を直接ベッドの上に置くから、シーツは悪くすると汚れるし、そうでなくても湿る。元凶は頓着しないし、咲世子に頼むのも申し訳ないので、ルルーシュが替えなければいけない。うんざりだった。
 少しだけ覗いているC.C.の太腿が、押しかけてきた当初よりも膨張して見え、ルルーシュは九割の嫌がらせと一割の心配を口にした。
「おまえそのうち、緑の豚になったらどうするんだ…――あ、まさか太ったから服が着られないのか?」
 その言葉は、彼が考えた以上に、C.C.に衝撃を与えたようだった。いつも澄まし顔の女が、数瞬、般若のような形相になり、ルルーシュは心中だけで怯えた。彼女はしかし、すぐに立ち直り、鼻先に嘲笑を乗せた。
「ふん、そんなことを言っていていいのか? せいぜい私におもねることだ。私は、おまえの妹に、卑猥な言葉を教えてやるのなんか、簡単なんだぞ」
 ルルーシュの脳は一瞬ショートしたように真っ白になった。コーネリアに雪辱を誓ったあの日以来の経験である。自失の後、彼は窓が開いているのも忘れて怒鳴った。
「バカなことはよせ!」
「おまえ、今日はいつにも増して怒りっぽいな。何かあっただろう、その気のない男に弄ばれたとかだ。どうだ」
 問いかけでなく断定の口調である。
 ルルーシュは、ゆっくりとC.C.を見た。自分では、普段通りの顔をしているつもりだったが、C.C.は少し肩を引いた。その仕草が彼女らしくなくておかしかったので、ルルーシュは微笑んだ。
 C.C.はますます身体を引いた。
「どうした」
「…いや。元気出せよ、ルルーシュ」
「俺は健康体だ」
 C.C.は疑わしげに眉を寄せた。
「病とは、気づかないうちに巣くっているものだぞ」
 尊大な口調だが、その響きはいつもよりも若干、柔らかかったかもしれない。それがどんな感情から来たものかはわからないが。
 それにつられたのだろうか。ふと、ルルーシュは優しい気持ちになった。
 この女は、いかがわしい拘束服の他には着替えも持っていないのだ。今はルルーシュの服を勝手に使っているが、ナナリーや咲世子の服を奪わないところには、かろうじて分別が残っているらしい。その努力に免じて、寛大な心で接してやろうと口を開く。
「おい…、服を買ってやろうか」
 押しかけた居候は、目を丸くした。話の流れが理解できなかったようだ。次いでいぶかしげな顔に代わり、それから、いつもの澄まし顔に戻って命令した。
「じゃあ下着を買って来い」

「セ ク ハ ラ は や め ろ !!」

 大音量の叫びに、C.C.は毛筋ほども表情を動かさなかった。その音が、鼓膜に触れさえしなかったかのような、平然とした様子だ。ルルーシュは喉を押さえ、咳き込んだ。涙が出てきた。
 今夜もっとも切実な声は窓から溢れ、夜の闇に哀れに落ちた。