傾国

執務室にて

 クエンエラ星域での会議から、三日が経った。
 勝手で断るのだから、せめて一言謝罪をと申し出たスザクを引き連れて、ユーフェミアは姉の艦を訪れていた。
 彼には言い出しにくいことだったが、ユーフェミアには、騎士を解任する権限もないのだ。お飾りの第八皇位継承者。今度の意見役も、コーネリアに願い出て、渋る彼女からようやく回してもらえた仕事だった。
 彼女の軍は、クエンエラ星域の向かいの端に滞在していた。とある植民惑星の内乱を平定するためで、もともと、彼女が同じ星系にいるからという理由で、その会議はユーフェミアの初仕事に選ばれたのだ。
 コーネリアは武人として名高いが、それは指揮能力だけに留まるものではない。彼女は、自らもナイトメアの操縦に長けた、珍しい皇族だった。
 第二皇子シュナイゼルは、士官学校に所属していたものの、高等戦略を学んだのみで、それも、政治学の発展としてのことだったらしい。一方、旗艦グロースターを駆るコーネリアは、ナイトメアの操縦から整備までを徹底的に学んだ。彼女の後見人で一番目の騎士、将軍ダールトンが、武に秀でた男であることも関係しているのだろう。彼女は、ただ一人で戦局を左右するほど、優秀なデヴァイサーとなった。
 いまだ何も持たないユーフェミアから見れば、姉はあまりにも目映い。その威光はまるで太陽のようだった。ユーフェミアは、彼女の光を反射するだけの衛星に過ぎない。
 磨かれた廊下に映った円い光を見ながら、ユーフェミアはそっと、呼吸よりも深く息を吐き出した。背後に付き従うスザクは気づかなかったようだ。
 姉の騎士に取り次がせ、執務室へ通されると、コーネリアは幾人かの部下に直接指示を下しているところだった。溺愛する妹の顔を見て、ふっと厳しくしかめていた頬を緩める。しかしすぐに、その眉間には皺が寄った。
 それを見たユーフェミアは、怒っているのだろうかと肝を冷やす。先に、会議についての報告が回ったのかもしれない。
 任せられた意見役という仕事は、名ばかりのものだった。会議の間中ただ座っているだけで、意見を求められることは一度もなかった。会議が終わるころには、手元に用意した資料は、ユーフェミアの手でいじられ続け、くたびれていた。姉にどう報告すればいいのか、どうせ期待されていたわけではないとわかっていても、彼女は考えあぐねていた。
 だが、姉の表情は、彼女に向けられたものではなかったらしい。背後でスザクが息を呑む音が聞こえ、それがすとんと下に落ちる。皇族に対する礼をとったのだろう。
 それを見て鼻を鳴らしてから、コーネリアは柔らかな声で尋ねてきた。
「ユフィ、ご苦労だったな。休養はきちんととったか?」
「ええと…」
 思わず口ごもり、慌てて、はい、と答える。
「そうか。おまえは繊細だからな、皇族用でないベッドは硬かっただろう」
 暖かい眼差しが、からかいと労りをもってユーフェミアの頬を撫でる。恥ずかしくなって、眦を上げた。
「まあ、お姉さま」
「ふふ、そう膨れるな。…そうだ、会議のほうはどうだった? ああ、いや」
 ユーフェミアの表情を見たのか、コーネリアは自然に、何かを思いついたように瞠目する。
「それはまたあとで、詳しく聞かせてもらおう。どうやらまだ、疲れがとれていないようだからな。部屋は用意できているな?」
 傍らに控える従卒に手を振ると、男は短く敬礼を返す。案内を申しつけると、コーネリアは妹に向けて、艶やかな笑みを浮かべた。
「では、ゆっくり休め」
「…すみません。お言葉に甘えます」
 二人きりの場なら、拗ねて怒ることもできた。しかし、周囲には姉の部下と、スザクがいる。姉の気遣いがわかって、それだけに惨めな気持ちで、ユーフェミアは頷いた。
 しかし次にコーネリアが発した言葉は、彼女には理解し難いものだった。
「それと、その男には構わなくていいぞ」
「…どういうことですか?」
 ユーフェミアは困惑に眉を顰めた。
 目の前の仄暗い紫は、一度追い出して以降、頑なにスザクを視界へ入れようとしていなかった。姉によって騎士とされたはずの新しい友人は、ユーフェミアの背後で膝を折ったままだ。彼に動揺は感じとれず、そのことがいっそう、ユーフェミアを混乱させる。
 コーネリアは腕を組み、ゆっくりと背を倒した。天然の木材にアンティークの布地が張られた、形ばかりが機能的な椅子が、ゆっくりと軋む。
「イレヴンをおまえの騎士にするわけにはいかない」
「お姉さま!?」
 ユーフェミアは立ち竦んだ。あまりに侮辱的な言葉に、血の気がさっと引いていく。
「何を仰っているの、スザクはお姉さまが…それに、スザクはとても」
「ユフィ。おまえは優しいな、だがそれにまで気遣うことはない」
 少し目元を和ませ、しかしコーネリアはそれを瞬時に険しくする。
 その様子に、彼女が折れることはないのだと、ユーフェミアは直感する。話が通じていないのは気になったが、今からの頼みには、別段支障のない内容だ。気を落ち着けるために息をつき、渋々許諾する。
「…わかりました。では、私はスザクを解任します。まだ書類登録は完了していませんでしょう? お姉さまがそう仰るのなら…」
「それはだめだ」
 素早い返答に、ユーフェミアは呆気にとられた。ぽかんと口を開き、目をしばたたく。
「お姉さま?」
「そいつには構うな。だが、騎士にはしてやれ」
 コーネリアは顔をしかめている。ユーフェミアには滅多に見せない表情だった。
 筋の通っていないことを嫌う性格なだけに、このような支離滅裂な指示を姉から聞くことが信じられない。彼女が驚き慌てる姿を見たことは少なくはないが、それらはすべて私的な場面でのことで、仕事の上で動揺し、取り乱すことなど、想像もできなかった。しかし今、姉の言葉は、いつものような、ユーフェミアを揺さぶる確かさを持たなかった。
 同じ色を持つ双眸を細めて、コーネリアは口元に笑みを刷く。
「何、名前だけのことだ。すまんがユフィ、あと四人の騎士枠は大丈夫だから、好きにしなさい」
「そんな」
「力不足ですまんな。それからそこのナンバーズ」
 妹に向けた甘い声から、一転して底冷えする音を出し、コーネリアは立ち上がった。腰に手を当て、跪く少年を遠目に睥睨する。
「住む場所と、最低限の給料は与えてやる。それで満足していろ、欲を出せば処分する」
「! …どういう意味ですか、それは」
 腹の底から沸き上がった罵声を押し込めるために息を呑むと、ユーフェミアはさすがに怒気を顕わにし、姉に詰め寄った。こんなに腹を立てたのは久しぶりだった。
「一方的すぎます。それにスザクは、飼い殺しにするみたいな、そんなことをされる人ではありません! ちゃんとお話を、」
「くどい!」
 荒々しい一喝が部屋を満たす。ユーフェミアの肩がびくりと震える。コーネリアの周囲を固める男たちも、程度の差こそあれ、衝撃を受けたようだった。あるものは目を見開き、あるものは硬直して、自分たちの主を見つめる。
 コーネリアは、少なくとも表面上は、冷静さを保っていた。妹へ向ける眼差しも、はっきりとした意志の力を持っている。
 それ以上の言葉の無力を悟り、ユーフェミアは机についた手を胸元に引き寄せ、握りしめた。
「お姉さま、…せめて、ではせめて、理由を」
「それは私の権限では、」
 言いかけて、コーネリアははっと口を噤んだ。その顔には紛れもない、自分の失言への後悔が溢れていた。しかし彼女はそれを一瞬で収め、苛立たしげに腕を振った。
「会議の報告書を、帝国標準時間明日正午までに外務科へ提出せよ。退出を命じる、ユーフェミア・リ・ブリタニア」
 毅然とした声が、ユーフェミアがその日聞いた、最後の姉の声だった。