傾国

紅と黒が結託する

 カレンは蒼い瞳にその艦を映した。その中にあっても、間近に迫る紅は、はっきりとした輪郭を崩さなかった。対してなめらかな表面に映った双眸は、暗く丸く引き延ばされ、彼女の感情をごまかしている。
 そう広いとは言えないドックに、その艦は収まっていた。まず目を引くのは、その色だった。濃厚な紅だ。地上では、索敵システムが無効化された際などに隠密行動をとる機体によく使用される色である。しかし塗装の問題から、ここまで広範囲に色があるナイトメアは珍しい。黒と橙味を帯びた金色の接続部が、本体の紅さをより鮮烈にしている。
 全体的なフォルムはやや鈍重そうで、ブリタニアのナイトメアとは系統の違う無骨さがある。しかし側面に据えられた巨大な砲台が、一つ、異彩を放っていた。そこだけは別の部品を取り付けたかのように、鈍い銀色に光っていた。
 恐る恐る手を伸ばす。熱を持っているかと思えたその色は、素手で触れると、冷たかった。
「これ…」
「ブリタニア製ではないが、おまえには使いやすいだろう」
 ためらいながら舌を動かすと、彼女の言葉を待ちきれなかったかのようなルルーシュの声に遮られた。相変わらず不遜な響きだが、不安げにも聞こえた。
「ブリタニア製じゃないって…じゃあ、どこの?」
 ナイトメアは、ブリタニアで発達した戦艦である。中華連邦やEUなどでも開発が進められていることは知っていたが、実用段階に移ったという話はついぞ聞かなかった。
「キョウト製だ」
 そこではじめて振り返り、カレンはルルーシュを凝視した。
 彼は再会したときと同じ、簡素な衣服を身につけていた。どうやら何かの制服らしい。灰色というよりも鼠色の薄い生地は、野暮ったく、不格好に見えた。首からはIDカードが提げられ、その秀麗な面や品のある体さばきさえなければ、ごく一般的な事務員のような格好だ。
 対するカレンも、士官学校の制服ではなく、シンプルなブラウスとボトムの組み合わせだった。それはルルーシュの指示で、ごくふつうの、目立たない格好でやってくるようにと念押しされたのだ。おかげでカレンは、手持ちの衣装から、かなり大人しめのものを探し出すはめになった。
「キョウト…」
 故郷の地名を思わず反復すると、説明がつけくわえられた。
「ニッポンの企業だ。こちらのほうが――ああ」
 そこでルルーシュは、カレンの視線に気づき、口ごもった。僅かに眉を顰める。ばつの悪そうな顔だった。
「おまえの素性だが…」
「あ、か、構わない」
 ブリタニア人とニッポン人との混血である事実を突き止められたのだろう。今更すぎる謝罪だったが、怒る気にはならない。どうせ、皇族に調べられれば、一貴族の醜聞を隠すことなどできないのだ。ルルーシュと契約を結ぶと決めた時点で、隠すことは諦めている。
「それより、このナイトメアの名前は?」
 固い表面を撫でながら問う。今は、与えられたこの新しい機体が、心を高揚させてやまない。喜びを表して、犬のように走り回りたいくらいだった。
 ルルーシュは目元を緩めた。
「紅蓮弐式、だそうだ。キョウト製第二世代規格特1級。あそこでは最新型だ」
「ぐれん…」
 たしかに、燃えさかる炎を写し取ったような機体だった。もう一度呟くと、冷たかったその表面に、熱がともったような気がした。そのとき、カレンは、自分がその機体に適性を持つことを直感した。
「ニッポンの虎の子だろうな」
 ルルーシュは乗るか、と言って踵を返した。それを慌てて追って、カレンは狭い背中に尋ねる。
「どこからこんなの、用意したんだ?」
「職場に情報が入ってきたから、多少融通を利かせてもらったんだ」
「職場?」
 もう軍務についているとは聞いていたが、職場という言い様に引っかかった。軍人が、軍のことを職場と呼ぶのには違和感がある。二人の立場では、そこまで突き放した言い方をする必要はない。単純に所属名を言えばいいだけだ。何かを煙に巻きたがっているような気配を感じて、カレンは食いついた。
「職場って、軍じゃないの?」
「…管理事務所だ」
 案の定、ルルーシュは返答に間を開けた。それとはわからない程度の逡巡だったが、そこそこのつき合いを持つカレンには、彼が何かをためらったことがわかった。ここぞとばかりに追求する。
「なんの?」
「組織の」
「民間の?」
「…政府のだ」
「…あのね」
 カレンは業を煮やし、前を行く少年の襟首をひっつかんだ。喉を潰されたような呻き声を上げ、たたらを踏んでルルーシュは立ち止まる。
「おい! 何をする」
「私はあんたの騎士になるんでしょ、期間限定でもね。情報は開示してもらいたいわ」
 抗議に対して、カレンは憤然と肩を怒らせた。
 旧友からの騎士契約の申し出には、条件があった。カレンにナイトメアと騎士の位を授けるが、彼女が充分に自分の腕を示した後は、ルルーシュの好きなときに騎士契約を打ち切るというものだ。もちろんその際、ナイトメアを返還する必要はなく、紅蓮弐式そのものが、その条件を受け入れる報酬となる。契約を解除するときには、できる限りカレンの名誉を傷つけないよう、円満に退職できるように手配するとも請け負われた。
 それを聞かされて、すぐに彼の言葉を信じられはしなかった。
 騎士の契約とは、簡単に解除することができるものではない。可能となるのは、皇族か騎士のどちらかが亡くなるか、騎士が身体的に職を全うすることができないと判断された場合である。
 それをいともたやすく言ってのけるルルーシュに、身の危険を感じないわけではなかったが、結局、彼の申し出をカレンは呑んだ。今の自分の立場で、この先、同じだけの好条件が差し出される可能性はなかったからだ。
 そして、いけ好かない相手ではあったが、契約を交わした以上、ルルーシュのためにやれるだけのことはするつもりだった。ナイトメアを受け取り、必要な時だけ彼を守って戦って、理由もわからないままある日突然騎士を解約されるなど、御免だった。仮初めの契約だとしても、騎士として彼に仕える覚悟を、カレンは持っていたのだ。それを、枢木スザクの代わりの一時しのぎとして扱われるのではたまらない。
 手を放さないまま睨みつけると、低いところから引っ張られて不自然に腰を曲げた態勢のルルーシュは、無理に逆らおうとはせずにそのまま口を開いた。
「…貴族としての仕事だ。士官学校に入る前から任されている」
「ああ、領地の管理とか?」
 合点がいって、カレンは頷いた。皇族や貴族は、皇帝から下賜された、あるいは貸借している土地を管理するのがもっとも重要な仕事の一つである。
 ルルーシュは、そんなところだ、と彼らしくないあやふやな言葉で肯定して、カレンの手首を手の甲で打った。
「いい加減に放せ」
「はいはい」
 特に謝罪もせず、カレンは指を開く。逃れたルルーシュは、不機嫌そうに顔をしかめた。
「ところで、騎士登録をしたら、皇帝陛下にお披露目しなくちゃいけないんでしょ?」
 気にせず尋ねると、近い将来主となる予定の少年はじとりとした視線を送ってきたが、それ以上口やかましくはしなかった。
「一応な。まあ、五分もかからないだろう」
 現皇帝の、子らに対する無関心は、広く知れている。それを無造作に晒すルルーシュの顔色には少しの変化もない。それが自制した上でのことなのかはわからなかった。ふれるのはやめて、カレンは事務的に質問した。
「ふーん… 制服でいいのかしら」
「いいや、シュタットフェルト家の娘として来てくれ。できれば社交界での、お淑やかなドレス姿でな」
 カレンはげー、と舌を差し出す。下品な、という目で見てくるルルーシュに鼻を鳴らすと、彼は不快げな顔になった。その顔をしたいのはこちらのほうだと、うんざりして問う。
「理由を聞いてもいいかしら?」
「インパクトが欲しい」
「何のために?」
 ルルーシュは少し考える様子だったが、すぐに口を割った。先ほど襟を絞められたことが効いたのかもしれない。
「ニュースになってもらわないと、困る。どうせいつかはバレることだが、それまでに、注目が必要なんだ」
「何、それ」
 カレンは瞼を下げて彼を見た。ルルーシュにナルシスティックなところがあることは知っていたが、それは実のところ内向的な性質であり、人の視線を集めることに積極的なタイプではなかったはずだ。
 今度も、ルルーシュは特に逡巡せずに答えた。
「家臣にしたい奴がいる」
「家臣って」
 カレンは瞬いた。
 上位継承者にのみ与えられる、派閥をつくる権利は、彼に与えられてはいない。当然、家臣を選ぶ必要はないし、選ぶことを許されてもいない。上位継承権からはみ出した皇子が口に出す言葉ではないのだが、ルルーシュがあまりに自然にそう言ったので、カレンは皮肉を口にすることができなかった。
 困惑し、眉間に皺を寄せるカレンを見て、ルルーシュは、思いがけず悪戯っぽい光を目に浮かべた。
「カレン。ブリタニアをどう思う?」
 思いがけない問いかけに、カレンはさらに動揺し、口ごもった。今まで、兄の仲間たちと散々論じたこともあったが、その内容を、帝国最高権力者の息子に直に言うことは、さすがに憚られた。
「どうって…私は、別に…」
 彼女の様子を数秒見やり、ルルーシュはふと、何かに気づいたように口を噤んだ。紫色の光が急速に醒め、彼は普段通りの、すました顔に戻って彼女を促した。
「いや、くだらないことだった」
「ルルーシュ?」
「早く艦橋に行こう」
 すでにルルーシュの声からも表情からも、先ほどまでの、幼さに似た気配は失われていた。それを惜しいと感じた気持ちを自覚する前に、彼は歩き出した。指先まで力のこもったうつくしい姿勢が自然さを繕っている。その頑是ない態度に、追求することを拒まれていることがわかって、気力が削げた。わけがわからないまま、彼の世界から締め出されたことに気づき、腹が立った。
 夢から浮上した心地で、カレンはすぐに、細い姿を憤然と追い抜いた。