傾国

STAGE 18 / Between the lines

いまさら遅い

 藤堂たちが加わり、前々から囁かれていた騎士団の再編成が行われることになった。その、発表と任命の時間が近づいている。
 頃合いを見計らい、藤堂は与えられた自室を出、任命式が行われる一室へと足を向けた。
 四人の部下たちは、一足先に広間に待機しているはずだ。藤堂が時間をずらしたのは、任命式が始まるまでは、彼らも過剰な緊張を味わいたくはないだろうと思ったためだった。ゼロからはすでに、自分の役目についてはそれとなく通達されているので、彼自身にはたいした感慨はない。
 むっつりと引き結んだ口をそのままに、藤堂は廊下を歩く。
 ゼロが身を置くこの潜水艇には限られた人数しか乗艦していないため、時折機関関係の部屋から顔を出した者に頭を下げられる以外は、人に会うこともない。任命式がある部屋付近は、関係者以外は立ち寄ることを禁止されているため、やはり、人影はなかった。
 そのうちでももっとも人気のない場所に差し掛かり、ふと、藤堂は眉を寄せた。
「誰だ、」
 針を落としたような僅かな気配を感じ、彼は素早く振り返る。
 急激に移り変わる視界の端、廊下の向こうに、すうっと、細い何かが消えるのが見えた。素早く、その角へ向かう。様子を窺うと同時に、先制して飛び出した。
 その気負いを殺ぐように、平然としてそこに立っていたのは、一人の少女だった。
「…なんだ」
 落ち着き払った声を出し、彼女は、冷たい目で藤堂を見た。
 見覚えのある少女だった。名前は知らないが、幾度か、ゼロの傍にいるのを見かけたことがある。最たる特徴である鮮やかな髪は、薄暗い闇に煤けたようだったが、さすがに見間違えたりはしない。
 戸惑って、仕方なく、藤堂は声をかける。彼女の足が向かう先には、部屋は一つだけなのだ。
「…そちらには、ゼロの部屋しかないぞ」
「知っている」
 切り捨てる声は素っ気ない。まるで、言葉をしゃべる虫に接するかのようだった。それに戦慄をおぼえて、藤堂は言い募った。
「あの部屋は、奴以外入れないと聞いているが?」
「あいつと、私以外、だ」
 少女は見下すような視線を寄越し、鼻を鳴らした。無表情の中、目元に、かすかに感情のような色が浮かぶ。
「誰から聞いた」
「何」
 藤堂は、彼にしては珍しく、顔をしかめる。
「あいつの部屋には、あいつしか入れない、と。言いそうなのは一人くらいだ」
 少女は澄ました顔で、そこにはいないもう一人の少女を嘲笑った。その言葉には、侮蔑に近いものが潜んでいるように、藤堂には思えた。
 彼は不快な気分になった。高校生ながらにエースパイロットだという紅月には、知人の妹であるという以上に思い入れがあるわけではないが、ゼロに対するひたむきさと、増長する様子のない態度には、それなりの好感を持っている。それを莫迦にされて、おもしろいはずがない。
 だが、その考えを、口には出さなかった。
 すでに口を噤んだ少女を見つめる。相変わらず、その顔に表情はない。小作りな顔とそこに収められた小さなパーツたち、ほっそりした肢体は、紅月と同様、あるいはそれ以上に、か弱さを備えている。布一枚の内側に想像される身体も、ともすれば、藤堂には握りつぶせそうに脆弱だろう。
 しかし、少なくとも、その足の運びは、戦うことを知らない人間のものではなかった。先ほど、そして今も、彼にさえ微弱にしか感じ取れないほどに気配を殺しきる技術が、少女にはあるのだ。そのことが、藤堂に不安を感じさせる。
 この少女は、危険なものである気がした。黒の中、白を纏うことを許された少女。見覚えのある、ブリタニアの拘束服。
「――おまえは、何者だ」
 藤堂にもはや退路はない。日本解放という意志の前に、どのような障害が立ちはだかろうと、邪魔なものは払いのけるだけだ。
 ゼロから、この少女については、何も聞かされてはいない。しかし、副リーダーである扇の遠慮や、玉城をはじめとした幹部たちの胡散臭いものを見る眼差しから、彼女が黒の騎士団に紛れ込んだ異物であるということはわかる。
 ゼロには片瀬へ捧げたほどの忠誠を誓ったわけではないが、彼にとって有害なものを切り捨ててやる程度の恩義は感じている。積極的に賛成するわけではないが、必要というならば、女子供であっても容赦はしない覚悟はできていた。
 しかし、この少女は、ゼロにとって、強みなのか、弱みなのか。
 藤堂には、それがわからなかった。ゼロ自身が、それを把握できているのかも、また。
「私か? 私は…」
 緊張に意図せず身構えた藤堂を、小馬鹿にするように答えかけて、彼女は不意に言葉に詰まったようだった。
 だが、崩れるように瞳をさまよわせたのは数秒だった。少女はすぐに、藤堂と目を合わせる。黄金色の視線が、揺らがず見据えられたあと、小さな唇が不遜な音を紡いだ。
「にゃあ」

風船では飛べない

 皇族による叙任式には、何度か立ち会ったことがある。近いところでは、まさに自分の主の、同輩の叙任式がそれだった。涼しげを通り越して冷たさを感じさせる双眸を、密かな感涙に濡らした男の姿は、なかなかに忘れがたい。
 彼には、騎士に足るだけのコーネリアへの忠誠と、貴族としての位があった。しかし、たとえどのような人間であろうと、実力と気骨を備えているのであれば、ダールトンには文句はない。古くは平民から皇妃にまで上り詰めた女もいたし、また、主となったコーネリアも、昔は口先さえ立たぬ少女だった。今では腕も弁も立ち、ダールトンにも一端の口をきくが、銜えさせられた純銀のスプーンの重みに耐えかねていた様子を見覚えている人間としては、それが面映ゆいこともあった。
 枢木にも、いつか、そう思わせられるときが来るのかもしれない。
 感慨深く思いながら、貴族の波が引いた静かな廊下を歩いていると、目の前に深緑が見えた。その上には水を思わせる銀色が乗っており、渋い色のうちに包まれているのは、重ねられた厚い布を持て余しているかのような薄い身体である。
「――アスプルンド伯爵」
 ダールトンは、思わず声をかけた。
 新たな騎士が誕生したあの静寂の中、ダールトンの先を制して行われた、軽い拍手。賛同する音が聞こえない中、気負いのない、ただ平坦な感覚で続けられたものだった。それを耳にしてから、一度、この男と話をしてみたいと思っていたのだ。
 しばらく歩き続けてから、いきなりぴたりと止まり、男は振り返った。思わずぎょっとするような、柔らかすぎる動きだった。蒼を填め込んだ細い目がたわみ、ダールトンを見とめて、少し不思議そうな色になる。
 ダールトンは口を開いた。しかし、そこから出てきたのは、考えていたのとはまったく関係ない言葉だった。
「…似合っていませんな、服が」
「あァ、これ。まさか叙任式がこんなとこであるとは思わないでしょ?」
 唐突な話題に平然として答え、ロイドは少し大きなサイズの襟元を、細い指でつまんだ。その喉もとからは、すでにカラーが取り去られている。巻き取られた薄紫の布は、手のひらの周りで微風に揺れていた。
「うち、祖父の服しかないんですよねぇ。父のは売っちゃいましたから。まあ、わざわざ買うほどのことでもないし、試作品のついでに、至急、本国から送らせたんですよぉ」
 さりげなく込められた皇族を貶める言葉に、ダールトンは一瞬、息を詰めた。それから、この男が本国の第二皇子の直接の配下だったと思い出し、肩の力を抜く。納得させられざるを得ない。確固たる主義と、それを許されるだけの実績を、第二皇子は築いている。
「そう言えば、貴殿が、枢木少佐を取り立てたのだったな」
 上が上なら下もこの慧眼かと、ダールトンは息をつく。主の妹のことを少し憂えたが、それは、ダールトンが心配しても仕方のないことである。
 しかし、ロイドは、気のなさそうな声で答えた。
「はい? …ああ、別にィ。取り立てたっていうか、まぁ、一番数値がよかったんですよねぇ彼」
「…は」
 少し呆然としてから、ダールトンは、思わず呟いた。
「…吹けば飛ぶような軽さだな」
 何が軽いといって、言動や態度だけでなく、頭の中身もだ。
 ダールトンは拍子抜けし、次いで、不愉快な気分になった。ナンバーズとはいえ優秀な枢木が、このような男に弄ばれているのは、気の毒な気さえした。真面目そうな男である、さぞかし苦労しているのだろう。
「あッは、実際吹いてみたことってあるんですかァ?」
 おもしろい冗談だと、ロイドは笑う。
 ダールトンはもう、呆れを隠そうともしなかった。放蕩貴族のお遊びほど、性質の悪いものはない。この男は軍に所属しているというから、珍しく、軍人としての自覚もあるのだろうと思ったが、とんだ勘違いだったようだった。期待を裏切られて、ダールトンは渋面をつくる。
 彼の様子に頓着せず、ロイドの軽い舌は回り続けていた。
「でも、いいこと言いますねぇ、さァすが将軍! 人間の存在が重いなんて思ってるの、人間くらいですよねェ。ランスロットのほうがよっぽど重いのに」
「…当たり前だ」
 ダールトンは苦く応じる。若い者を叱りつける老人のような心地になる彼の前で、ロイドは不意につまらなそうな顔になり、唇を尖らせた。
「ま、それも、風船くらいでなら飛びそうですけど」