傾国

STAGE 10 / Between the lines

こちら企画部

「温泉でも掘るのか、とからかったのは俺たちだが」
 扇は困惑し、目の前の光景を見た。新入団員たちが、ナイトメアを駆り、掘削機械をあちこちに埋めている。ブリタニアにしか許されないはずだった人型の巨体が、ぎこちなくも着々と指示に従っているのは、圧巻だった。ついこの前まで、ただ殺戮されるしかなかった自分たちの姿が思い出される。
 隣では、しばらく前までどこかへ姿を消していたゼロが、超然と立ちつくしている。硫黄の匂いは、あの仮面の中に籠もったりしないのだろうか。扇は心配とも、嘲りとも言える、微妙な心情になる。
 ゼロからはまだ、とりあえずの指示しか出ていない。新入りはともかく、古参のメンバーたちは一人を除いて、この作業に戸惑っていた。
「ゼロ! これでほぼ、準備は完了しました」
 その唯一の例外、カレンが駆け寄ってきた。黒い制服は、彼女の赤毛と、ほっそりとした肢体を強調していた。
「わかった。カレン、君はもう紅蓮弐式に待機しろ。自分なりのやり方で、コックピットに慣れておくんだ」
「はい」
 教師に答えるような、張りつめた声だった。
 いつの間にか、カレンはゼロを盲信していた。今この瞬間も、彼女の目はゼロだけに向けられている。まるで、自分の神を見つめるかのように。実際は、そこまで狂信的な思いを抱いてはいないだろう。しかし遠からず、そのような状態になるのではないかと、扇は危惧していた。
 お兄ちゃんと、恐れを振り払おうと叫んだ少女。紅蓮弐式のキーをもらったと、頬を紅潮させることもなく、ただ目だけを煌めかせて言った少女。扇の中では、その二人の少女が、いまだにうまく繋がらない。
 カレンは一度も扇を見ることなく、与えられた機体へと去った。それを他の二人が当然と受けとめていることがいたたまれず、扇は無理やりに声を出した。
「なあ、ゼロ」
「なんだ」
「まさか、温泉に入りに来たわけじゃないだろ。そろそろ説明してくれよ。あんたが秘密主義なのはわかってるが、このままでは不安だ」
「もう、すぐに話す。…温泉に浸かるのはまた今度だな」
 本気か冗談か、ゼロは素っ気なくそう言った。
「あんたも温泉に入るのか!?」
 思わず扇は尋ねてしまった。
「悪いか?」
「い、いや」
 温泉に入るゼロ、という、あまりにそぐわない光景を思い描き、扇は脱力した。その想像の中で、ゼロは仮面と服を身につけたまま入浴していたからだ。
「…バカか。冗談だ」
「あ、あ、そう」
 存在自体が冗談のような男に冗談を言われるとは思わないだろう!
 心中でそんな不遜なことを考え、それがばれはしないかと、扇はどぎまぎする。これで本当に、ゼロが温泉に入るつもりだったのだとしたら、さらにおそろしい気がした。
 しかしゼロの意識は、いつの間にか彼から逸れていた。扇のほうを見ているが、彼を通り越して、もっと向こうに意識をやっている気がした。それは当たっていたようだ。彼は唐突に、肩を強ばらせた。
「引き続き監督をしていろ」
「えあ?」
「私は離れる。すぐに…数分で戻る」
 ゼロはそのまま、いつもの芝居がかった足取りでなく半ば競歩のような速度で、窪みの向こうに姿を消した。扇は間抜けな声を上げたままの口で、それを見送った。
「扇さん、ゼロと何を話してたんですか!?」
 途端、新入団員たちが、好奇心を向き出しにした。ゼロが個人的に、多少は親しげに話しかけるのは、まだ古参のメンバー、特に扇とカレンに限られている。彼らは、ゼロと話してみたくて仕方ないのだ。ヒーローではなく、おそらくは珍奇なものとして。しかしその勢い込みは、懐かしいあの日本文化、合コンの際に、目当ての美形に殺到する異性たちに似ていた。
 ゼロの威厳は絶対的で、この組織を立ち上げておきながら、彼自身の存在は騎士団に馴染んでいない。それは、カレンの盲信と同様、危険なものに思えた。おそらく彼にとってではなく、自分たちにとって。新入団員たちの姿を見ていると、その不安はどんどん大きくなる。
 ゼロがあのような行動を取った理由はわからないが、元リーダーとして、ここは皆を落ち着かせるべきだろう。適当なことを言って彼らを散会させると、扇は嘆息した。
「…温泉旅行でも企画するか?」

冷却

(この人は!)
 セシルの感情は瞬間的に沸騰し、すぐに冷めた。ロイドの醒めた瞳がそうさせたのだ。彼の纏う空気、時を選ばない躁や冷静な狂気は、彼女から何かを奪う。それは興奮や、空回りする思慮であったりする。しかしとにかく、彼を見ると、セシルは客観的な視野を取り戻すことができた。
 セシルは、土砂崩れを示すモニタの画面から目をそらした。つい、職務外のことに思考を巡らせてしまった。自分には、直接戦術に口を出す権限はないのだ。そもそも、あれが人為的なものだと、本陣でその可能性を取り沙汰されないわけがない。彼らには弱みはないから、シンジュクゲットーのときのように、何か利便をはかってもらえることもないだろう。
 スザクが困惑げに、ランスロットから二人の気配を窺っているのを感じる。
 セシルは腰を下ろした。普通は、上司であるロイドの前で許可もなく座ることは許されないが、ロイドは上下関係にはまったく頓着しないので、彼女はその権利を好きに行使した。
「ただの土砂崩れだとしても…これでコーネリア殿下のナイトメアは大方が戦闘不能になったはずです」
「そうだねぇ、あの土砂、あともう少しがんばってくれないかな?」
 セシルの言葉に、ロイドはけたけたと笑い出しそうに叫ぶと、スザクに視線をやった。彼はコクピットから半ば身を乗り出すようにしたままで、上司に見つけられ、気まずい顔になった。
 事情を知らされない彼の、犬のような瞳は、上からの指示か、そうでなくとも誰かの誠実さを待っている。
「あの」
「出撃する可能性が高くなったから、よろしくねぇ」
「! はいっ」
 返答と同時に、少年の周囲の空気が張りつめた。まるで帯電するように。
「でも、張り切りすぎは駄目だよぉ」
 ロイドが釘をさす。河口湖以来、ロイドはスザクの過剰な正義心や奉仕精神を憂えているようだった。大事な作品が、お気に入りのパーツとともに壊れてしまっては困るのだろう。そうなってなお、研究の継続を許されるほどの成果は、まだランスロットには不足している。
 セシルはランスロットを見上げた。
「スザクくん、たぶん、もう少ししたらコーネリア殿下は、私たちに命令をかけるかもしれない。殿下はランスロットの力を知っているから、加勢を頼まれる可能性が高いと思うわ。でも、もしかしたら、撤退の援護や負傷者の救助かもしれないってことを、考えておいて」
「はい」
「ここは温泉なんだよねぇ。イレヴンは長湯なんだよね、のぼせないように注意してねぇ〜」
 セシルの気を張った指示を真剣な顔で聞いていたスザクは、ロイドの言葉に脱力した笑みを浮かべた。セシルは慌てて手を振った。
「本当なの、ランスロットの換気システムはあまりいいとは言えないから…湿度は大丈夫なんだけれど。こういうところでは、熱気が籠もるかもしれないわ。気をつけて」
「了解しました」
 スザクは些かも崩れない敬礼をし、コクピットの奥に引っ込んだ。セシルは息をついた。彼にすべての情報を伝えないことが、この先彼に不利にならなければいいが、と思う。スザクの立場は難しすぎるのだ。
「君、戦術畑か心理系に行ったほうが、よかったかもねぇ」
 ふと、ロイドが言った。セシルは驚き、彼を見下ろした。ロイドはぐったりとした猫背のまま椅子に座り、器用に頬杖をついている。膨らんだ頬が子どもが拗ねているようで、セシルは思わず微笑んだ。
「いえ、私には、ここが合っています」