傾国

STAGE 9 / Between the lines

構ってください

 猫祭りは終わった。
 一日限りの扮装は脱ぎ捨てられる。
 スザクはルルーシュの頭に装着されていた猫耳を名残惜しげに見ていたが、装着者に険悪な視線を向けられ、渋々それをボール箱の中に収めた。それを確認して、満足げに頷いたルルーシュは、指を伸ばしてスザクの右目の下をつついた。
「スザク、これ、落とせよ。殴られたみたいだぞ」
「うん…」
 わざわざアーサー仕様にしてもらったにも関わらず、その努力が報われなかったスザクは、しょんぼりとしてボール箱の蓋を閉めた。その指先や手の甲には、真新しい引っ掻き傷や噛み痕が残っている。
「何がいけないんだろう」
「ようやく原因追及をする気になったのか」
 しおれた背中に、ルルーシュは高みから無情な言葉を投げた。
「今までだって、してたよ」
 時々は人にまで尋ねてみたが、明確な答えが返ってきたことはない。スザクは今度機会を見て、特派の上司にや生徒会のメンバーにも聞いてみようと思っていた。そして今は、この友人の意見を拝聴するつもりだった。ルルーシュは、スザクと違い、猫にはそれなりに懐かれるのだ。
「ルルーシュはどう思う?」
 呆れたような視線を向けてきた彼は、スザクの案外真面目な顔を見て、困ったように眉を寄せた。しばらく考えてから、呟く。
「…おまえが、猫を構わないからだろ」
「すごく構ってるじゃないか」
 ルルーシュは、まあな、と肩をすくめた。
「でも、猫の気持ちに構わないだろ。お前は…、けっこう、ひどいやつだからな」
「どこが?」
 まさか彼にそんなことを言われるとは思わなかったスザクは、驚いて、白い顔に浮かべられた苦笑を見つめた。だいたいそれを言うなら、彼のほうがひどいやつである。シャーリーの恋は、あんなにもわかりやすいのに。
「猫の立場になって考えてみろよ。…猫の一生も短いし、やりたいこともあるんだから、関わる人間は選ばないといけないんじゃないか?」
「…で、僕はいらないってこと?」
 ルルーシュは首を傾げた。瞳には意地の悪い光があるが、それはどことなく、さびしい感じもした。どうしてそんな顔をするのだろう。
「それは、おまえが決めたことじゃないか」
 はぐらかすなんて、ルルーシュはやっぱりひどいやつだ。

目のつけどころ

「ルルーシュ・ランペルージのばかっ」
 という、押し殺しきれなかった叫びが耳に入り、カレンは思わず姿勢を正した。自分の口から飛び出した言葉かと思ったからだ。まさに、その少年についての罵詈雑言を、心の中で連ねているところだった。
 声が聞こえてきたほうを見ると、公園のベンチに、見慣れてきた制服があった。長い栗色の髪に、スカートの下から伸びるすらりとした健康的な脚。
「あ、シャーリー…」
 その声に背筋を引きつらせたシャーリーは、クラスメイトに気づき、ほっとしたような、残念なような顔をした。軽快な足取りで駆け寄ってくる。
「カレン! 今帰りなの? 送ってもらわなくて大丈夫なの?」
 そう言えば病弱だったと思い、カレンは弱々しい笑みを浮かべた。彼女はもともと、家の車をそう好き勝手使える立場ではないので、設定に反して、送迎してもらうことはあまりない。それを悟られるわけにはいかない。
「ええ、近頃は随分調子がいいの。今日はいい天気だし」
「でも、ここはころころ気温が変わるから…足が冷えるの、気をつけないと」
「…うん、わかってる」
 心配してくれるシャーリーに、数瞬苛立ちをおぼえた。それに対して、罪悪感が込み上げた。日本の四季の移り変わりをカレンは愛していたので、ブリタニア人がそれを面倒な環境だと言うのは、悔しかった。ならば出ていけと言いたくなる。しかし、シャーリーは、ただ自分を心配してくれただけだ。その気遣いにまで、被害意識を抱くのはさすがに嫌だった。
 カレンの葛藤に気づかないシャーリーは、含みのない笑顔を向けてくる。
「ね、時間があるなら、お茶しない? 近くにおいしい喫茶店があるの」
 それはたぶん、薄着で歩いていたカレンを気にしたのと同時に、彼女自身の要望でもあるのだろう。話を聞いてほしいのだな、と気づいたカレンは、その誘いを承諾した。
 五分と歩かず、目的の店に辿り着いた。
 適温に保たれた室内に落ち着くと、二人は息をつく。学園からそう遠くないこともあり、彼女たちのように、下校途中の寄り道をしている生徒も少なくない。学園内では有名な二人の姿に、ちらほらと視線が寄せられた。
 居心地悪そうにしているカレンに、シャーリーは焦ったように言い訳した。
「ここ、ほんとにおいしいの。大丈夫だよ、仕切もあるし、話は聞こえないから」
「あ、気にしないで。慣れてないだけ」
 否定を込めて手を振ったところで、ケーキが来た。二人とも、苺のショートケーキだ。
「苺好きなのよね」
 無意識の呟きがシャーリーの口からこぼれた。その主語は、おそらく彼女自身ではない。
 先ほどまでいた公園に、彼女の思い人と一緒にいて、頬を引っぱたいて別れてきた、とは言わないほうがよさそうだ。それに今は、彼の名を口にするのも嫌なくらいだった。
「誰のこと?」
 しかし、シャーリーが話したいのは、彼のことなのだろう。もし彼に対する感情を訊かれたら、今度こそはっきりと否定してやろうという思いやりを胸に、カレンは話を振った。シャーリーは、慎み深くそれに食いついた。
「…ルルが、今日ね」
 そしてカレンは、放課後の、シャーリーの勇気に対するルルーシュの対応について聞かされた。カレンを恋敵と疑っている彼女は、言いづらそうに訥々と話したが、カレンはおそらく彼女の予想とはまったく違うことを考えていた。やっぱりはたいておいてよかった、と自分の行動に満足していたのだ。その考えを無意識に感じ取ったのか、シャーリーの口はだんだんなめらかになっていった。
「ルルのやつ、女の子の純情をなんだと思ってるのよ!」
 シャーリーは活発な少女だが、同年代の他に比べると、恋愛には些か奥手のようだ。それとも、恋する相手が悪いのだろうか。
「こっちが決死の覚悟で…それなのに、スザクくんって、もう、もう、あのバカっ」
 ケーキをサイコロステーキのように細かく切り分けると、彼女は素早いフォーク遣いでそれを口に運んだ。
「私のこと、ちゃんと認識してるのかってところから、不安になるじゃない!」
「まあ…考え事に夢中になると、周りのことが見えなくなる人って、いるわよ」
「だいたい、私の気持ちなんて…もしかしたら、すごくわかりやすいんじゃって、思うくらいなのに、ルルってば、わかってるのかなあ」
 普段なら、シャーリーはもっと人の話を聞くし、カレンに対して警戒心を持っている。それが薄れていることで、彼女がいかにショックを受けたかがわかって、カレンには少し切なかった。
「そうね、彼はちょっと、鈍いっていうか…ううん、そういうのじゃなくて、無頓着…なのかな」
「そうそう!」
 シャーリーは同意を得て勢いづき、最後に残った苺をフォークで断裂した。やるな、この女。カレンは無自覚に鋭い目つきになり、慌てて半眼に戻した。
「ルルーシュは人の好意に『あぐ』…『あぐりを』…えっと…」
「『あぐらをかいている』?」
「そう、それよ!」
 シャーリーは勢いよく頷いた。日本を本拠とするアッシュフォード家のミレイが東洋通であるため、生徒会メンバーは妙なところで日本の文化を持ち出してくる。
「あいつきっと、人が自分に好意を見せるのなんか、当然だと思ってるんだわ」
「ああ、なるほど」
 カレンは納得した。たしかにルルーシュには、そういう、高慢な美女のような部分がある。ランペルージという姓を彼女は聞いたことがないが、もしかしたら、有名な貴族なのかもしれない。しかしさすがに恋する乙女は、よく観察しているものだ。
「っでも…その、やりにくいことも当然って顔でしちゃって、迷わないところとか…ルルのそういうところが、私は…」
 いつの間にかシャーリーは、自分の意志を再確認するかのように、真情を吐露していた。カレンは相槌に困り、仕方なく、自分が先ほど感じたことを述べた。
「そうね、たしかに、彼は客観性に長けてるし、ものごとをよく観察してるわ。自分の意見を、しっかり持っているのね」
 その見識は、カレンと相容れるものではないようだが。
 シャーリーははじめて、自分の向かいに座る少女に気づいたような目になった。澄んだ若草色の目が、やがてじっとりとして、降りた瞼に半分隠された。
「…カレン、ルルのこと、よく見てるのね」
 脱力した。
「…あなたほどじゃないわ」