傾国

帽子脅迫罪

※『ハリー・ポッターと賢者の石』とのWパロです。一巻までネタばれ。未読・未見の方はご注意

「どうして僕がグリフィンドールなんだ!」
 そう言うと友人は、さあな、と息を吐いた。いつもの威勢がない態度は、彼が別のことに気を取られているようで、無理もないと納得しつつも、ルルーシュは苛立った。もっと積極的に同意してくれてもいいものを。
 数時間前のことを思い出す。自分の名と寮名を叫ばれた際の異様などよめきは、その名残だけでルルーシュを暗鬱にした。選ばれた寮からは、歓迎の声ではなく凍りついた嘲りが、選ばれるはずだった寮からは、底冷えする怒りと侮蔑が運ばれてきた。予想外の事態に、ルルーシュはそれに何の反応をすることもできず、ぎくしゃくと隅の席に着くことしかできなかった。誰も声をかけてこなかった。
 自分の気質に、グリフィンドールは合っていない。それをルルーシュは自覚していたし、周囲の評価も同じであるはずだった。赤地に金獅子旗の彼らは陽気で粗雑で過激な寮風で、ルルーシュは過激ではあるかもしれないが、陽気でもないし粗雑でもない。
 それでも、そのつい数秒前までであれば、彼の心は違っていた。友人と同じ寮かもしれないと、期待を胸に抱けたのだ。友人の気質はまさしくグリフィンドールのものであるように、ルルーシュには思われていた。ルルーシュだけでなく、車両で行き会った誰もが、彼はそこに配されるのではないかと予想したのだ。
 それなのに、彼がルルーシュの前に選ばれたのは――
「…俺だって蛇野郎の巣だぜ? おかしいよなあ、なんか間違えてる」
 スザクはうんざりと肩を落とす。柔らかそうな茶髪に葉からこぼれた光を溜めたような緑瞳、東洋人の特徴なのか、女子と偽っても違和感のない幼い顔立ちだが、態度と目つきには険があった。唇が曲げられ、双眸が眇められる。
 スリザリンの寮風どころか魔法使いのことさえよく知らないくせに、同意を求めてくる瞳に、おかしく思いながらもルルーシュは首肯した。それはたしかに、彼も感じた違和感だったからだ。
 スザクは言葉遣いや行動こそ乱暴だが、執念深さや計算高さとは無縁だ。スリザリンの寮風には合わない、少なくとも、スザクがその寮にだけは行くことはないだろうと、ルルーシュは思っていた。そもそも、生粋のマグルは、今までスリザリンに配されたことがなかったのだ。
 それを話すと、スザクは苛立たしげに癖毛をかき回した。
「つまり俺たち二人とも、合わないとこに放り込まれたのか」
「…そうなるな」
 呟いて、二人は顔を見合わせた。互いに困惑した瞳にぶつかり、同時に嘆息して肩を落とす。
 頭上の壁にかかる額縁の中を、時折騎士や貴婦人が通っては、そろって丸まる二人を見下ろして行く。壁一枚を隔てた向こうでは、階段が軋みながら動き回っているようだ。
 自分たちの寮を抜け出し――それは決して、難しいことではなかった――二人は寮の別れ道である廊下で落ち合った。マグル社会で暮らしていたころから決めていた、魔法を必要としない単純なサインが役に立った。消灯後の外出は禁じられており、見つかったら罰則と減点が待っているだろうが、今、二人にはそれを気にする余裕もない。周囲は、二人がこそこそとベッドを抜け出すのを黙認したから、彼らに対する罪悪感もなかった。少なくとも現在、二人にとって、寮の雰囲気は居心地いいものではなく、それが彼らを過激な行動へと走らせていた。
 二人は明らかに、周囲に受け入れられていなかった。ルルーシュは部屋に至るまで、監督生に部屋を示される以外、誰かに声をかけられることがなかった。同室者さえ、彼をいないものとした。ルルーシュでさえそうなのだから、おそらくスザクは、それよりももっと露骨に何かを言われただろう。その点では、ルルーシュは、あの寮の気風を疑わない。
「――まあいいや」
 スザクは暗い空気に耐えかねたように、膝裏をぴんと伸ばして立ち上がった。
「どうにかなる!」
 自分を無理やり納得させるように、彼は胸を張った。まだ少し体躯に余るローブの端が、石の床を引きずられる。
「むかついたら、黙らせればいいんだしな。あいつらみんな、弱そうだから、楽勝!」
 ぽかんと口を開いて彼を見上げたあと、ルルーシュは唇を尖らせて俯いた。
「…やっぱり君はグリフィンドール向きだ」
 彼のように開き直ることができず、じっと床を睨みつける。
 もともとルルーシュは、ずっとマグルの社会で暮らしてきた。半分はマグル出身の魔法使いの血を引いているためだ。
 彼に魔法の才能があることは幼いころから明らかで、魔法学校からの誘いが来ることはわかっていた。ルルーシュは、それを断るつもりだった。混血として一族から厄介者とされていた彼は、魔法使いにいい感情は持ってなかったし、もしそれでも魔法を得ることを望むなら、違法ではあるが独学で学べばいいと思っていたからだ。
 しかし彼の妹は、魔法使いに、引いては魔法学校に憧れていた。それだけならまだしも、彼女はルルーシュと同様、魔法に際立った才能があった。いずれ必ず、魔法学校に行くことになるだろう。だからルルーシュは、妹の露払いとして入学することに決めたのだった。そうすれば、彼女への風当たりも分散され、弱くなるだろうと考えたのである。
 だが、先の見通しが得意な彼も、まさかスザクが、マグルでありながら同じ魔法学校に入学許可を得るとは予想していなかった。魔法学校からの手紙を持って、何のいたずらだろうと訝しげにやって来たときは、さすがにルルーシュも唖然とした。そのうえ、自分も魔法学校に行くと言い出したときには、思わず白い目で見てしまったくらいだった。そのときも、そして今も、彼は間違いなく、魔法使いになることの意味をわかっていない。
 ――そうだ、全然わかっていなかったのだ。
 傾いた黒帽子に、スザクは不機嫌そうな声を落とす。
「なんだよ、嫌な言い方」
「お気楽すぎるって言うんだ。」
「だからって、どうすればいいんだよ。一日目からこんなすみっこにいても何も変わらないし、なら、前向きにやるしかないだろ。せっかくこんな、ふつうじゃ行けないとこに来れたんだし」
 その言葉を聞いて、ルルーシュはいっそう丸くなる。
「僕は…」
「それによかったじゃないか、おまえ、スリザリンはいやだって言ってただろ」
 言い淀むルルーシュを遮り、スザクは不自然に明るい声を出す。彼が自分を元気づけようとしているのだとわかっても、ルルーシュはその気遣いを嬉しいとは思えなかった。
「それは…」
 ぐっと言葉を呑み、拳を握る。
 たしかに、ルルーシュは、スリザリンにはなりたくなかった。シュナイゼルをはじめとした苦手な血族の者たちや、好かない知人たちがいるからだ。一人くらい親しみやすい者がいればいいのだが、あいにく交友範囲の狭いルルーシュには、そうそう心当たりがない。幼いころ追い出された魔法使いの世界に、ほとんど未練を感じず出てきた所以だ。
 それでも、本来の彼であれば、どんな状況に置かれても、一人毅然として顔を上げていただろう。厭う寮で遠巻きにされても、場違いな寮で隅に追いやられても、こんな薄暗いところで不満を吐き出そうとせず、策謀を巡らせてでも確固とした自分の地位を築いただろう。――昔の彼であれば。
 ルルーシュは、帽子の鍔を掴み、目元を隠すように引き下ろした。
 胸に溜まったその不満をスザクにぶつけるのは、お門違いだ。彼は新しい環境に馴染もうとして、沈んでいる友人を励まそうとしただけなのだ。
 だが、彼の慰めにこそルルーシュは気落ちし、自分を情けなく思わされた。スザクが魔法学校に来た理由を、都合のいいように勘違いしていたのだと、ひどく惨めな気分になった。
「……君がスリザリンなら、僕だってスリザリンでよかった」
 言うつもりのなかった言葉が不意にこぼれた。
 自覚していたよりも数段恨みがましい響きだった。はっとして息を呑むと、縮こまった舌がつられて、喉の奥へ逃げてくる。咄嗟に何も取り繕えないで、黙り込んでしまう。
 みっともなくて、消えてしまいたかった。もし魔法が使えたなら、その瞬間、自分を消すか、スザクを攻撃するかしていたかもしれない。
「…俺だって!」
 しかし彼が何かしでかす前に、きんと高く響く音が、鼓膜をふるわせた。
 それ以上の言葉を、スザクは探すことができないようだった。ルルーシュはそっと顔を上げ、そこに、途切れた先を問う必要もない、雄弁な眼差しを見つけた。
 途端、思いがけないほどの安堵が押し寄せ、ルルーシュは緩んだ涙腺を隠そうと瞬く羽目になった。唇を噛み、ともすれば揺れそうになる声音を引き締める。顔を背け、やっとの思いで小さく呟いた。
「スザク…」
 自分だけが、彼と一緒にいたかったのかと思った。
 そうでなくてよかった。友人に微笑みかけようとして、しかし、冷静なルルーシュが思考を顧みた。そして、あまりの情けなさに、今度は別の理由で消えたくなった。かあっと頬や首筋に熱が回る。皮膚は毛糸を直に当てられたようにちくちくと不快感を伝えてくる。ルルーシュは身を小さくしたまま頭を抱え、駄々をこねる子どものように身をよじった。
「よし、ルルーシュ」
 その様子に気づかなかったのか、スザクは再びしゃがみ込むと、いきなりルルーシュの手を取った。体温の高い手のひらが触れ、ルルーシュは戸惑う。近づけられた顔を、上目遣いに見やる。
「な…なに?」
 にぃっと笑う友人の顔は、もう見慣れた表情だ。
 不穏の予兆に、ルルーシュは肩を竦める。確かにあったはずの嬉しさや胸苦しさが、早くも拡散しようとしているのを感じた。代わりにいつもの調子が戻ってきて、ルルーシュは顰め面をつくり、渋々尋ねた。
「…なんだ?」
「あいつに撤回させるぞ!」
 覗き込んでくる緑の目は、きらきらと暴力的に輝いていた。獲物――嬲るための獲物を見つけた、賢しい猛獣のような目だ。自分の中の正義を、信じるまでもなく、恒常と疑わない傲慢さ。
 やっぱりこいつはグリフィンドール向きだなと、ルルーシュは顔を引きながら考えた。

 後日、長い緑髪の校長は、二つの小さな身体を睥睨して口角を緩めた。
「帽子の申し立てに異議を唱えてきたのは、おまえたちがはじめてではないが…」
 そのときルルーシュは肩を怒らせながらも黙々とトロフィーを磨き、スザクは喉から動物の唸り声に似た音を出しながら、手を止めて彼女を睨み上げていた。春とは言えまだ冷えるからとその二人の首に巻かれたマフラーは、寮指定の配色ではなかった。
 重厚な机に少女のままの体躯を乗せた魔女は、おもしろそうに目を細めて幼い抗議を見やり、首を傾げた。
「帽子を脅迫したのはおまえたちがはじめてだ」