傾国

次に目が覚めると、後ろの席が空いていた

※『涼宮ハルヒの憂鬱』とのWパロです。一巻までネタばれ。未読・未見の方はご注意

「あいつは全然意識してないけど、世界はあいつの願いを叶えようとしてがんばっちゃうわけ。でも、キミは特別みたいだから、あいつがこの世界を壊したくならないように、あいつの機嫌を損ねないようにしてほしいのよ。…わかった?」
 何日か前の放課後、話のまとめに半時間ほどの説明をそうやって要約してくれたミレイさんは、とても魅力的な笑みを満面に湛えて指を振り、去った。冷たいコーヒーと混乱を僕に残して。
 ミレイさんは、とても親切だったと思う。僕をかき回すだけかき回した他の二人の事情まで、簡単に説明してくれたんだから。
 けどだからって、親友が神様だと言われて、信じる人間がいるだろうか。
 数日前の僕は、もちろん信じていなかった。もしそうなら、小さいころに出会って、数年間のブランクの後、また今まで、ルルーシュに数々の狼藉を働いてきた僕が、天罰を受けないはずがないじゃないか。自慢じゃないけど、相当ひどいことをした記憶は残っている。
 でも、残念ながら、僕は信じざるを得なかった。昨日、宇宙人に襲われてしまったので。
 シャーリー・フェネット。今朝突然転校してしまった、明るいクラス委員の女子。C.C.さんが助けて、というか割り込んでくれなければ、僕は今頃身元不明死体として、ルルーシュに身元確認をされていたかもしれない。いや、槍くらい避けられたけど、とにかく僕は、改めて、今までの話を考え直さなくてはいけなくなってしまった。
 結局、C.C.さんがふんぞり返って垂れた宇宙に関する蘊蓄も、カレンが喧嘩腰に(ただしメイド服で)まくし立てた未来の平面がどうとかも、ミレイさんがテンション高く語ってくれた超能力者の秘密結社についても、僕は聞き流していて、あまり理解できていない。みんなの言ったことは、聞いた傍から八割方が、すでに脳から抜けてしまった。今さらだけど、それを後悔している。
 できた空っぽの部分には、黒板の文字も先生の声も、いつもなら待ち遠しい授業終わりのチャイムの音も、遠くて入ってこない。
 窓の外の空だけは、毎日と同じに晴れている。こんなに平和なのに、どうして僕は、昨日殺されかけたんだろうか。まあ、答えは案外、近くに転がっていたりするんだけれど。
「スザク、次のオーラルの範囲、確認しておけよ」
 背中にルルーシュの、笑いを含んだ声がかけられた。
 僕をこんなに苦しめているくせに、呑気なものだ。そんな身にならない忠告をするくらいなら、ノートを見せてほしいと思う。もっとも、ルルーシュは、ノートをほとんどとらないで満点がとれる、嫌味なことこの上ない脳を持っているんだけれど。
 エル先生の慇懃語学についてはとりあえず考えないことにして、僕は昨日から引き続き、三人の話――つまりはルルーシュについて思いを馳せた。
 三人の、特にC.C.さんの話はわからないことだらけだったけれど、とりあえず僕にも、ルルーシュがすごいんだってことはわかった。
 僕が捉えた言い方に直せば、つまりはルルーシュは、自分が願ったことを現実にすることができる、らしい。三人が言ったことを信じれば、ルルーシュは、人間じゃない生きものが進化するために必要かもしれなくて、ルルーシュは、未来をぐちゃぐちゃにしてしまえるかもしれなくて、ルルーシュは、誰かたくさんの人たちの神様かもしれない、ってことだ。
 スケールが大きすぎて、全然実感が沸かない。
 そもそも、三人が、何をあんなに心配しているのか、そしてなぜルルーシュではなくて僕にいろいろ言うのかがわからない。僕に言ったって仕方ないのに。もしかして、三人とも、ルルーシュにそういう、失礼だけど電波的なことを言って、自分が変な目で見られるのが嫌なんじゃないだろうか。
 ピザ部(昨年まで部だったということがすごい)の部室を乗っ取って、ルルーシュがつくった黒の騎士団という同好会。会員は現在、男二名女三名。髪の色も瞳の色もばらばらで、黒いのはルルーシュの髪くらいだ。そして、どこが騎士なのかは、もうまったくわからない。
 活動内容と言えば、たまに人助けをしたりするものの、おおむね部室でだらだらするのと、妙なパフォーマンス――例えば、ゴシックロリータとかいう鎧みたいな衣裳を着たり、逆に、猫耳にハイレグだとかの露出の高い服を着たりして、ピザ屋の比較検討やモラトリアムについて演説する――が主で、そして今のところ、それ以外にはない。
 おかげで一時はルルーシュの趣味を疑ったりもしたけれど、ルルーシュが女の子の着飾った姿を見る目はいっそひどいくらい平坦なので、あれは彼女たちが個人の趣味でやっていることらしい。女の子って感じで、かわいいアピールだと思う。
 それにしたって、僕でもけっこう際どいなあと思うのに、ルルーシュはおおむね無反応だ。
「…スザク?」
 それで僕は、ルルーシュが、あまり女の子に興味がないんじゃないかとか、それならひょっとしてひょっとしてひょっとすれば行けるんじゃないかとか、そんなことを思っていたのだ。けれど。
「スザク、おい」
 二度目の呼びかけ。
 チャイムが鳴り終わってしばらく経っているのに僕が動かないのに焦れたのか、授業は終わったぞ、と、後ろから指で突かれる。仕方なく振り向くと、頬に爪の感触が当たった。痛い。
 僕の変形しているらしい顔を見て、ルルーシュはえらく上品に吹き出した。
「変な顔してるな」
 珍しく、白い歯を見せて子供のように笑う。
 男としてはかわいそうなくらいきれいな顔をしているのに、僕にこんな風な無防備さを見せるルルーシュを、食べちゃいたいなあと思うたび、これが愛おしいってことなのかなあと僕はずっと思っていた。
 僕はふつうの女の子に興味があって、特に年上の女の人が好きで、甘やかす声や柔らかい身体にどきどきする。優しい言葉をくれると、ほっとして幸せになるし、守ってあげたいとも思う。それなのに、男で少しだけ年下で声は低くて痩せている皮肉屋のルルーシュを見て、たまらない心地になるってことは、僕はルルーシュに相当参っているんだ、と思っていた。
 けど、違ったらしい。
「次のオーラルだけど、おまえ今日当たるだろ? だから…」
 この気持ちは、僕の知らないうちに、なんだかよくわからない強い力でルルーシュが僕に植えつけた、嘘なのだ。
「スザク、聞いてるのか?」
 むっとした顔で、ルルーシュが唇を尖らせた。少し機嫌が悪くなっているのがわかる。
 けれどじっと見つめると、すぐに困ったような顔になって、それから不自然に視線を逸らさずに、少し細めた目を睨んでいるくらいに吊り上げた。僕がしばらくそれを見返していると、ルルーシュはふと潤んだ目を隠すようにして瞬いて、瞼を伏せた。薄い唇をもじもじ開閉して、拗ねてるみたいに聞く。
「…なんだ?」
「僕は君のこと好きじゃないんだよね、本当は」
 と言うと、ルルーシュはちょっとおもしろい顔になった。ぱっと顔を上げて、なんていうか、ぽかんと目と口を開いていて、間抜けだった。いつもそういう顔をしていたら、もうちょっとクラスメイトになじめるんじゃないかなと思う。
「…何を言ってる? スザク」
「君が僕に君のことを好きになってほしいんだね」
 ルルーシュはますます変な顔になった。
 その顔を見て、僕は少し不安になる。
 そう言えば、ミレイさんが、何が起こるかわからないから、ルルーシュ本人に自分の力を自覚させるなと言っていた。おかしなことは言っていないと思うのだけれど、ルルーシュはすごく頭がいいから、もしかしたら、僕のさっきの言葉で、何か不審なものを感じたかもしれない。今のなら、ふつうの質問で、そんな力には全然関係がないから、いくらルルーシュでもわからないはずなんだけれど。
 少ししてから、ルルーシュは眉を下げて微笑んだ。
「そうだな」
 どうしてだろう、なんだか急に元気がない。
 心なしか、教室も静まりかえってるみたいだ。ルルーシュは、こんなところにまで、力を発揮するのだろうか。そうだとしたら、ただでさえ行動で人を振り回しているのに、考えなく人の気持ちまで振り回しているんだろう。そんなルルーシュが憎らしい。
 あんなわけのわからないクラブに入ってくれるC.C.さんもカレンもミレイさんも、きっとルルーシュのことを好きなのだ。ルルーシュが、好きにしたのだ。僕だって、本当のことを知った今でも、困ったことにルルーシュに対する気持ちは変わらない。隠れているところもいないところも、余すところなく撫で回したいなあとか、少しおかしなことまで考えてしまう。
 でもルルーシュは、ちょっと自分のことを好きになってほしいと思うだけで、みんなに好きになってもらえるんだ。別に、好きになってほしいって思っていない人にも、自分を好きにさせる。
「それはだめだ」
 そういうのは、不公平だ。
「…そうか」
 しばらく動きを止めて、それから、ルルーシュは頷いた。とても素直に。
 黒い髪が揺れるのを見て、僕はふと思った。
 ルルーシュはみんなに思われているほど、傲慢じゃない。妹と黒の騎士団に関すること以外では、案外謙虚だ。だからルルーシュがどんな力を持っていたとしても、誰にとってどんな存在であっても、誰のことをどう思っても、きっとずっと、このままで世界は平和なんじゃないだろうか。たしかに、僕たちを振り回すことくらいはするだろうけど――だって、これまでの三年間、平和だったんだから。
 よし、今度、ルルーシュがいかに理性的か、ミレイさんに話してみよう。三人の中で、一番きちんと話を聞いてくれそうだ。そして、もし納得してもらえれば、ルルーシュが、いきなり処分されるなんてことはなくなるに違いない。
 はじめて安心できる考えが浮かんで、ほっとしたのかもしれない。急に、お腹の奥から欠伸が上がってきた。昨日から考え続けて眠れなかったから、すごく瞼が重い。
「ごめんねルルーシュ」
 寝る、とまで言うことができなかった。僕は前を向くと、机に突っ伏した。話の途中だったけれど、ルルーシュは何も言わない。ルルーシュは、わかりにくいけど、優しいのだ。
 その休み時間はやけに静かで、起きたときルルーシュのことを嫌いになっている自分を想像して意識をなくすのが怖かったはずなのに、僕はとても簡単に眠れた。

×慎ましやかな神様ルルーシュと空気読まない人間スザク
→○慎ましやかな神様人間ルルーシュと空気読まない人間神様スザク