「だから、ちゃんと見て無事を確認したいだけです! なんでそれだけのこともだめなんだよ!」
怒鳴り声と、ありったけの恨みを込めた視線をこともなげに振り払われ、リヴァルは奥歯を噛んだ。耳鳴りがして、怒りと焦燥に涙が滲む。それを相手に見られ、侮られていることを感じるのが、悔しかった。
少し開いた扉の前で、男たちは冷然とした目で彼を見ている。その向こうには、リヴァルが思いを寄せる少女や、友人たちがいるはずだった。
彼がクラブハウスで何かが起こったことを知ったのは、学生寮に放送が入る直前だった。日課であるバイクの整備を行っていた彼は、敷地内に来た見慣れない男たちに、いち早く事態を悟ったのだ。その結果、教師に捕まらずに、彼は学園内の様子を探ることができた。
しかし、やってきたのが軍の人間であることと、ミレイ他数人の生徒が大教室に集められたことしかわからない。このままでは埒が明かないと、特攻をかけることにしたのだが、彼の無謀な行動は、当然まかり通らなかった。どうにか監視の目を盗んでここまで来られたものの、あっさりと見つけられてしまった。
すぐさま追い返されようとするのに、必死で食らいついたものの、要求が受け入れられそうな気配はない。見慣れた廊下が、突然別の場所に変わってしまったように感じられた。
「出られなくなってもいいし、外に何か漏らすのがだめなら携帯渡したっていいです。もうここまで来てるっていうのに、それでもだめなんですか!」
「寮に帰りなさい」
男たちは頑固だった。彼の光る目を見ても、態度をまったく崩さない。岩でも相手にしている気分になる。両手を握りしめて、リヴァルは叫んだ。
「見られてやましいことでもあるのかよ…!」
「あるんじゃないのー?」
さらにくってかかろうとしたところに、間延びした声が届き、リヴァルは身を竦めた。
軍人たちははじめてうろたえ、彼の背後にいる人物に向けて弁解するように首を振った。
「伯爵閣下、いえ、これは…」
「ま、別にどうでもいいんだけどさァ」
リヴァルが振り返ると、そこには、色素の薄い、不健康そうな体躯の男が立っていた。白衣のポケットに両手を突っ込み、雲の上でも歩いているような不安定な足取りで近づいてくる。
その後ろに、見慣れた顔を見つけ、リヴァルは喜色を浮かべた。
「スザク!」
新しくできた友人は、その声に目を見張った。え、と小さな声が漏れる。なぜリヴァルがこんなところにいるのかわからなかったのだろう。それでも、彼らの微妙な位置関係から、状況はわかったのか、思い当たるような顔つきになった。
縋る目を向けると、彼は眉間に皺を寄せ、申し訳なさそうに視線を落とす。わかってはいたが、名誉ブリタニア人である彼には、一般人の無理を通させるような力はないのだろう。それでも誰も味方がいなかったさっきまでよりはましだと、リヴァルは彼の側へ寄った。スザクは身を縮めた。
「リヴァル…ごめん、ぼくは」
「知り合いなの? スザクくん」
彼の傍らにいた女性が、瞬いて、スザクを見る。はい、と固い声で返事をして、緑の双眸は、軍人たちと奇妙な男に向けられた。つられて目を向けると、彼らは力関係が歴然とした問答をしていた。
「まさか同じ軍属の僕らにまで、立ち入り禁止だなんて言わないでしょ?」
「いえ… しかし、その」
「何ですかぁ? 本当に、やましいことがあったりして?」
白衣の男が意地悪く聞く。軍人の顔が、白くなる。薄い唇がにんまりと弧を描き、さらに何事かを言い募ろうとしたとき、掠れた声がかけられて、言い争いが止んだ。
「――あの」
リヴァルが視線を転じると、男たちの奥に、まさに求めていた少女の姿があった。遠目にも疲弊した様子なのがわかる。反射的に足を踏み出しかけ、傍らの女に止められた。
「会長!」
仕方なくリヴァルは叫んだ。スザクがちらりと彼を見たのがわかった。
ミレイはリヴァルを見て、ふとかすかな笑みを浮かべた。しかしその唇から出てきたのは、彼がかけた期待にそぐわない言葉だった。
「…殿下が、枢木スザクを呼べと」
「何!? しかし」
警備の軍人たちはうろたえ、彼女と、自分たちより一回りは小柄な少年を見つめた。女は息を呑んで彼らを見守り、奇妙な男は首を傾げる。
「スザクくん、いいかしら」
「はい」
スザクは泰然として頷いた。その目には、疑問がない。殿下と言うのが誰か、リヴァルにはわからない。だから、なぜ彼が呼ばれたのかわからなかった。ただ、自分が呼ばれなかったことだけを理解して、声を上げた。
「会長、俺は…」
「リヴァル、ごめんね」
申し訳なそうに、ミレイは眉尻を下げた。
「…あまりたくさんの人を入れるわけにはいかないの」
「ねぇ〜、そこの君」
奇妙な男が再び声を発した。ミレイは不思議なものを見るように目を大きくして、彼を見た。
「私ですか?」
「うん。僕も入りたいですけど、だめかなぁ?」
今の言葉を聞いていなかったとしか思えない申し出に、側にいる二人が慌てたのがわかった。ロイドさん、と女が怒ったように呟く。
「きっとお役に立ちますよぉ」
ミレイが警戒を強めたのがわかった。円い青い目が眇められ、険を増す。
「…どなたですか?」
「控えられよ、この部屋の中には…」
同じようにいきり立った軍人たちが、男を睨みつける。それを平然と見返して、男はガラスの奥の目を細めた。
「だ〜からァ、あなたたちだと、わからないでしょぉ? 彼のこと」
「ロイド伯爵! どうか、お聞き分けください」
軍人たちは、困惑した表情の裏に鬱陶しげな顔を隠し、白衣の男を見つめた。彼らよりも地位が高い男を、どのようにして追い払えばいいのか、思案しているようだった。
「僕、皇子殿下の写真見たことあるよ。君たちよりは、役に立つと思うけどなぁ」
「写真がどうだと言うのですか!」
軍人たちの後ろで、ミレイがますます硬くなる。
「皇子…が来てんのか?」
リヴァルはわけがわからないまま、聞き取った単語に反応して、スザクに尋ねる。彼は頬を引きつらせて、よくわからない、とだけ言った。
しばらく挙措に惑っていたミレイは、ふと扉の内側を見やり、眉を顰めてから小さく頷いた。そこに誰かがいて、彼女に無言の指示を出したようだった。向き直ると、背筋をぴしりと伸ばす。
「ロイド伯爵、でしたか? 申し訳ありません。…殿下は、貴族は、お嫌いだと」
彼女は低い声でそれだけ囁くと、はっとしたように唇を動かし、微かに顔を伏せた。その瞳に、傷ついた色を見つけたのは、おそらくリヴァルだけだっただろう。他の人間は皆、彼女の後ろにいる誰かを見ていた。
ミレイは軽く首を傾げ、頬に重なった髪で表情を隠した。
「無礼をお許しください」
「んー、べぇつに」
ロイドと呼ばれた男は鼻を鳴らし、ぐるりと上体を捻った。止まった腰の上でさらに首だけが回り、冷たい色の瞳がこちらを見る。奇矯な動きに、軍人たちに動揺が生まれ、中途半端に下げられていた銃口が跳ねた。
色の薄い唇の両端が、ゆっくりと持ち上がる。
「…スザクくぅん、よーく顔を売っておいでよね。皇子殿下に気に入られて、損はないよ」
スザクは肯定とも否定とも聞こえない、唸るような返事をした。
それを聞くともなしに流しながら、リヴァルはただ、くたびれた制服のスカートに皺をつくる、細い指先を見つめていた。