傾国

彼女が見た少女

「あら」
 セシルは目を見張った。
 視線の先、いつだったか誰かが密会に最適だと話していた中庭の一角で、枢木スザクが、見覚えのない少女と話している。休憩時間ではないから、真面目なスザクのこと、無許可で抜け出したわけではなく、呼び出しを受けたのだろう。
 相手は友人なのか、アッシュフォード学園の高等部の制服を着ている。しかし、入り口とはいえ、機密を扱う部署の近くで立ち話とは、度胸のあることだ。セシルは苦笑した。
 先日の黒の騎士団との戦闘でランスロットが損傷したこともあり、ロイドの嘆きは深かった。我が子を労る獣の母のようにランスロットの周りをうろついていたかと思いきや、冷静な手際で、修理とバージョンアップを施していく。本人は意識しているわけではないだろうが、そういったときの彼の集中力、持久力は異常だ。三日近く、食事も睡眠もほぼせずに働き続けることができる。
 そのロイドの指示で、事後処理の合間に外殻強度確認のテストに散々つき合わされ、たしかもう一週間、スザクは学園に登校していないはずだ。少女は、心配して様子を窺いに来たのだろうか。アッシュフォード学園には貴族の子女も多いので、おそらくは伝手を使ってスザクの居場所を突き止めたのだろう。そう考えると、スザクも隅に置けない、と思う。
 そのうち少女が不意に頬を染め、スザクに文句を言うようにして短いスカートの裾を引いたので、何を言ったのかと心配になった。しかし、その後も二人は仲睦まじく話を続けている。セシルは微笑ましくなり、見なかったことにしてやろうと踵を返そうとして、――慌ててまた反転した。
 スザクが、少女の太腿を撫でていたのである。
 混乱の間も、セシルはすでに走っている。窓枠を乗り越えたい衝動を施錠を確認してこらえ、少し走ったところにある扉から渡り廊下に出て、中庭へ降りる。
「…スザクくん!」
 呼びかけると、二人は同時にセシルを見た。
 スザクの手は、まだ白い肌の上に置かれていて、それを引きはがす気配のないもう一対の腕は、背後の壁に力なく縋っていた。細い指先が白壁を掻き、小さなかけらが剥離する。少女の頬は寒さのせいではなく紅潮していて、細い銀フレームの眼鏡は耳から外れかけ、目元の印象を曖昧にしていた。薄く開いた唇の合間から、白い息が吐き出され、空気に溶ける。
 スザクは少し慌てたようにして体勢を整えると、少女を隠すように動いた。そうしてからごく自然に声を掛けてきたので、その行為が後ろめたさのせいなのか、セシルは一瞬判断に迷う。
「セシルさん」
「何してるのっ」
「え? あっ、申し訳ありません!」
 スザクが謝る。その背後から、少女が頭を下げて、事務に話を通してある旨を伝えてきた。見当違いな謝罪の内容ではなく、その声の震えを聞いたセシルは、スザクが――彼がそんなことをするとは考えがたいが、彼女に無理を強いたのではないかと疑った。
 こちらの不安を読み取ったのか、なぜか彼女のほうが弁解し、スザクの性格からすると想像できなくもない状況に、セシルは口先だけは納得してみせた。もし本当に無理強いされたなら、少女が彼を弁護することもないだろう。
 セシルは少女を見た。
 今は少し乱れている黒髪はイレヴンを思わせたが、肌の白さはブリタニア人のものだ。全体的に骨張っていて、肉づきは薄い。しかしそれにしては、バランスが悪いということもなく、頭蓋から指先まで骨格が整っている。すっきりした輪郭には癖がなく、ずれた眼鏡のおかげで目元は判然としないが、鼻や唇、耳のパーツは形よくバランスよく配置されていた。客観的に見て、かなりの美形だ。
 先ほどのスザクのせいで、ところどころの肌や吐息は、甘く湿った色を帯びている。少し顰めた眉の下、目尻に指した紅が高校生の少女とは思えない艶めかしさで、このような存在が教室に存在するのは、思春期の少年には毒ではないかとセシルは案じた。もっとも、スザクは平然としているが。
 しかしその彼も、彼女の様子によって、ようやく自分の行いに気づいたらしい。ぱかりと口を開けて、それから、なんとも形容しがたい顔で少女に謝る。
「…ごめん」
「いや…、えっと、私が不用意なことを言ったのが、悪かったから」
 どうしてか、スザクは拗ねたような顔をしている。少女は引け腰だ。彼に応じて、自分を粗略にするようなことをいう彼女を、セシルは諫めた。
「女の子なんだから、そんなことを言ってはだめよ」
 少女は口ごもるように謝った。
 俯いた先に伸びる脚は長く、見たところ、そこそこ長身のスザクよりも若干背が高い。それが彼女をモデルじみて見せているようだったが、しかし今は、身を縮めるようにしていた。おそらく普段は凛とした雰囲気を持っているのではないかと思うと、二人の関係が垣間見えるようで、微笑ましいやら、スザクの態度が歯がゆいやらだ。
 スザクは成長期の最中だから、じきに釣り合うだろう――そう考え、いらぬ心配をしている自分に気づいて、セシルは苦笑する。
「眼鏡、ずれてるわ」
 指摘すると、彼女は慌てて、慣れない仕草で眼鏡を直した。レンズの奥に不思議な色が見えたと思ったとき、それは淡く染まった瞼に隠される。
「ロイドさん」
 スザクの声に視線を転じると、上司がいつもの歩き方でやってきた。一足先に出ると行ってきたのに、油を売っていると責められるかと思えば、彼は少し眉をひそめていた。
 そうして話し出したのは、一般人のいる場では漏らしてはならないはずの内部情報で、慌てて口を挟もうとしたセシルは、長年のつき合いから異常を感じて、声を呑んだ。咄嗟に舌に乗せていた相槌を切り替え、話を合わせた。彼が言葉を重ねるにつれて、その思いは強くなる。
 ロイドは普段なら、そんなに簡単に、あの上司を話題に出したりはしない。
 彼の細い瞳が、いつもより開いて蒼く色づいている。ロイドの意図が掴みきれないものの、彼女の反応を知りたがっている様子に、薄い肩が震えたのに促されたこともあって、セシルは口を開いた。
「…そうだ、名前を聞いていなかったわね」
 彼女の言葉に、少女はためらい、少し外していた顔を、まっすぐにロイドに向ける。ロイドもはっきりと、少女を見た。
 その瞬間、ロイドの唇が意地悪げな曲線を描くのを、セシルはたしかに見た。
「…な、名乗るほどの者では、」
「――スザクくん」
 彼女が言い切る前に、ロイドは口を開いた。
「ルルーシュ殿下は、どうしてスカートなんか履いてるんだい?」
 シュナイゼル、クロヴィス、ユーフェミア、コーネリア。
 ロイドの後ろで、あるいは隣に並んで、直に対面した皇族たちの顔が、瞬時にセシルの脳裏に浮かぶ。
 それとほとんど同時に、眼鏡の奥の瞳が、アメジストのように深く鮮やかな色であることに気づいた。夜明けの空の色と、晴れた空の色、菫の色を見てきた。そしてこれは、宝石の瞳だ、と思った。
 何か声を上げるより早く、視界の端に、スザクの手が見えた。先ほどあの短いスカートの中に入れられていた不埒な彼の手が、素早く動き、