傾国

せめて、スカートを脱いでから

 建物から出てきたスザクは一度周囲を確認し、ルルーシュに目を留めて、ぎょっとした。ルルーシュはその顔に気をよくして、努めて愛想のいい笑顔を浮かべた。
「枢木くん、久しぶり。こんにちは」
「ルルー…、あ、うん、こんにちは?」
 スザクは混乱して、何度も瞬き、口ごもった。先ほどからルルーシュの暇つぶしにつき合っていた――というよりルルーシュを無理やりつき合わせてきた事務員が、彼の顔を不審げに見る、それを遮るようにルルーシュは礼を述べる。
「ありがとうございました」
 頭を下げ、言外に、さっさと行け、という意味を込める。
「ああ、いえいえ」
 男ははっとルルーシュに向き直り、まだ何か言おうとした。しかし彼の目に映るのはつむじだけで、困惑したように口を噤む。
「あ、ありがとうございました」
 微妙な雰囲気を感じ取らず、スザクが友人に倣って、丁寧に頭を下げる。
「…帰るときには、また言ってね」
 少し残念そうな声でそう言うと、事務員はゆっくりと、受け付けの小さな部屋の中に戻る。彼の後ろ姿が消えないうちに、スザクが慌ててルルーシュの腕を掴んだ。
「何してるの、…」
「決まってるだろ、会いに来たんだ」
 ルルーシュはすっと腕を振ってスザクの手を払うと、顎を少し上げて、見下ろすように言った。
 一週間、スザクは学校に顔を出さなかった。軍務で忙しい彼が、長期間休むことは少なくないが、ルルーシュにまで音沙汰がないというのははじめてだった。きっとこれから先、こんなことは少なくないのだろう。それは覚悟しなければならない。しかし、できる限りは、連絡を入れてほしいと思った。ナナリーの不安もあったが、何よりルルーシュ自身がただ待つことに耐えきれなかった。
 だからルルーシュは、自分で会いに行くことにしたのだ。
 多少の危険は承知の上である。七年も前に鬼籍に入っている、皇位継承権の低い皇子と、今の自分を結びつけるような物好きは、そうはいないはずだった。それに、すぐにはわからないように、印象も変えている。高等部では通用しないだろうが、大学部では、さすがにルルーシュの顔を知っている者も少ない。堂々と技術部との連絡を要求し、スザクと連絡をとることができた。
「とにかく、ここから離れよう」
 スザクが周囲をはばかるようにして、再び手首を掴む。
 受け付けから少し離れた、人気のない一角に連行されたルルーシュは、スザクが立ち止まったのを見て取り、口を開いた。
「おまえ、こんな近くで仕事してるなら、言えよ」
 ここに来るまで、いったん学園を出て服を着替え、足がつかないように遠くの支局まで出向いたのだ。そうして気を遣ったというのに、得た答えが高等部の向かいにあるアッシュフォード学園大学部だったのだから、腹立たしく思うのは仕方がない。暇な身ではないのだ。
「こういうのって、機密だから…、どうやってここがわかったの?」
 スザクは困った顔でルルーシュを見つめる。
「軍支局に行って、おまえの所属とどこにいるのかを聞いた」
「え、…教えてくれたの?」
「快くな」
 きょとんと見開かれた目を見て、ルルーシュはにこりと微笑んだ。もちろん、ギアスを使ったことは伏せる。
 スザクは疑わしげに目を細めた。
「…色仕掛け?」
「はっ?」
 ルルーシュは驚いて、友人を凝視した。真顔だったスザクは、その視線に恥ずかしくなったのか、逃げるように目を伏せた。
「だって…じゃあ、なんでそんな格好なの?」
 その言葉に、ルルーシュは自分の姿を見下ろした。
 アッシュフォード学園の、高等部の女子制服である。随分前のことのように思える、男女逆転祭りの際に使用したものだ。はじめはシャーリーのものを借りようとしたのだが、サイズが合わなかったため、ミレイがわざわざルルーシュのためにあつらえたのである。記念にとっておけと言われて渋々引き出しにしまっておいたのが、意外なところで役に立った。陳腐だが、マフラーで口元を隠し、瞳の色をごまかすために眼鏡もかけていた。あいにくかつらまでは用意できなかったが、髪の長さはごまかせないこともない。
「一応、用心して変装してきたんだ」
「へんそう…」
 スザクは鸚鵡返しに呟く。じっくりと見つめられ、先ほど彼にすぐに正体を看破されたことを思い出し、ルルーシュは言い訳した。
「ぱっと見て、関連づけられなければいいんだ」
「…まあ、ここには僕ら技術部しかいないから、大丈夫とは思うけど」
 スザクはなおも心配そうにして周囲を窺う。その萎縮しているような動作に苛立って、ルルーシュは目尻を吊り上げた。
「そんなことより、おまえ、どうして一週間も休んでたんだ。軍務だとはわかるが、それならそれで、何か言ってこい!」
 緑の瞳が丸くなり、唇が綻んだ。ここは間違っても、そんな顔をするところではないと、ルルーシュは憮然とする。
「ルルーシュって」
「なんだ」
 目を細めて睨む。
「眼鏡かけてると優等生みたいだね」
 毛ほどもそれを気にせず、スザクは口先だけで声を殺して笑う。
「でもルルーシュ身長高いから、女の子には見えないよ」
「…そうか?」
 学園内ではえらく――それはもう、うんざりするくらいに好評だったので、本物の女に見えるのだろうと思っていたルルーシュは、少し恥ずかしくなった。母に似た女顔は、思ったより効果がないらしい。
 スカートの裾を引っ張る。一番効果的な変装だと思ったし、スザクは莫迦にしないだろうと思って選んだのだが、思いがけず静かに笑われて、いたたまれなくなった。ここに来るまでやたらと視線を感じたのも、思っていたより不自然だったからなのだろうか。努めて意識しないようにしたが、今すぐにでも脱ぎたくなる。
 だがさすがに、ここで着替え出すわけにもいかない。諦めて、ルルーシュは友人に文句をつけた。
「…とにかく、学校に来ないなら、連絡しろよ。心配するだろ」
「先生には連絡してたよ。聞けばよかったのに」
「え?」
 ルルーシュは虚を突かれて、瞠目する。そうだ、スザクの欠席について何も言わないのなら、それは、学校にはきちんと連絡があったということなのだ。
「あ、…そうだな」
 どうして思い至らなかったのかと自問すると、すぐに答えは見つかった。学校に連絡などしなくても、自分に連絡すれば、伝えてやれるではないかと、そう思ったのだ。自分への連絡ではなく、学校への連絡を優先したスザクに、ルルーシュは落ち込んだのだった。
 こんなときになってようやく気づいた、子供じみた感情を恥じて、目を伏せる。
「ルルーシュ」
 呆れたような、たしなめる声に、ルルーシュは唇を尖らせた。
「…だって、…いや、そうだ、顔を見ないと、安心できないだろう」
 苦し紛れの言葉に、思いがけずスザクがくすぐったそうな表情になったので、ルルーシュは少し嬉しいような気分になった。スザクは笑っていることが多いが、それは必ずしも、彼の心底から浮かんでいるわけではないと、ルルーシュは感じていた。
 今は芯が感じられる声音で、スザクは謝った。
「ごめん、連絡しないで」
「次からは、ちゃんと断れ。毎回、改めてだぞ」
 そう言って、ルルーシュはまた、スカートの裾を引っ張った。今度は、先ほどとは別の意味でだ。
「うん、わかった…、寒い?」
 二度目の仕草に目を留めたスザクが、眉尻を落とす。ごまかそうとして、彼を相手取る徒労を思い、ルルーシュは隠さず苦笑した。
「いや…まあ。女子はすごいな」
 前に学園であった男女逆転祭りは、まだ比較的暖かい時期だったので気づかなかった。素肌が露出している部分はもう感覚が消えているし、スカートの中にはすぐに風が入り、上着の中にまで冷えた空気を運んでくる。学園の女生徒たちの短いスカートを思って、ルルーシュは心底感心した。
 スザクが犬のように首を傾げ、それからすっと手を出した。
 冷え切った太腿に、高い体温がいきなり触れて、ルルーシュは身をすくめた。思わず身体がふらつき、壁に背と両手を預ける。
「何…」
「うわっ、冷たい!」
 スザクが驚いて声を上げ、剥き出しの太腿を、熱を擦り込むようにさすった。
 ふれられたそこよりも、むしろ顔と頭に、ものすごい勢いで熱が上ったのをルルーシュは感じた。
「あ、わ、スザク…」
 肌に触れる熱は心地よいといえば心地よいが、現在の二人の格好を考えるとあまりにいたたまれなくて、ルルーシュは硬直し、されるがままになった。スザクの手には羞恥も不埒さも、欠片も感じられず、ただ子供のように冷たい肌を温めているので、なおさら何も言えない。爪先から、膝裏を通って腰骨まで、むず痒い熱が走り抜ける。
 しばらく唇を噛んでそれに耐えたルルーシュは、しかし手のひらの数巡で限界を感じ、軍服に包まれた手を押しやった。
「もう…大丈夫だ、やめろ」
「でもすごく冷えて…」
「…あついからっ、」
 力の抜けた声で必死に言い切るが、スザクの手は離れなかった。それどころか、するりとスカートを押し上げて内腿を割って滑り込み、肉の薄く柔らかい場所を揉むように動く。その位置が信じられず、ぱく、と口が開いて、掠れた声が出た。
「… は、え?」
「ほら内側までまだこんなに冷たいよ、ちゃんと」
「スザクくん!」
 不意に女の声が響いて、ルルーシュは跳ねた。
 呆然とする瞳を叱咤して動かすと、潤んで歪んだ視界の中に、スザクと同じ制服を着た女性が立っていた。優しげな顔つきに浮かんだ生真面目な表情を見てとって、ルルーシュは、スザクの好みのタイプだな、と思う。
「セシルさん」
 スザクが呼びかけて、
「何してるのっ」
 と鋭く咎められる。
「え? あっ、申し訳ありません!」
 なぜ叱られるのかわからないのか、スザクは瞬きながら謝罪を口にしている。彼の境遇を考えれば、この女性はおそらく上司に当たるのだろう。いつの間にか彼に庇われるように背後に回っていたルルーシュは、慌てて口を挟んだ。
「あの…私が、面会を申し込んだんです、近ごろ彼が学校に来なかったので…ちゃんと事務を通しました。すみません、スザクのせいじゃないんです」
 無理やり出す高い声は震えていて、はたしてこれで、女だと思ってもらえるのか、ルルーシュは不安に包まれる。
 セシルと呼ばれた女性は、困惑げに彼を見つめていたが、やがてきりりとした表情になってスザクを睨みつけた。
「スザクくん、無理強いしたの!?」
「へっ?」
 スザクが間抜けな声を上げる。
「…何をですか?」
「いや、何もされてません!」
 ルルーシュは彼女の誤解に気づき、再び口を挟んだ。これについては、スザクに任せては埒が明かない。何せ、どこが問題なのか、さっぱりわかっていないのだ。
「寒そうだからって、それだけです。スザクはちょっとおかしいので」
「え、…」
 傷ついたような顔でスザクが見てきたが、女性は一応の納得を見せた。
「そう…なの? ならいいんだけど。驚いたものだから…」
 セシルの言葉を聞いて、スザクもようやく、先ほどの自分たちの姿が異常なものだったと気づいたようだった。おかしなことをしたわけではないのに、という不満を見せながらも、ルルーシュを見る。
「…ごめん」
「いや…、えっと、私が不用意なことを言ったのが、悪かったから」
 釈然としないものを感じつつ、ルルーシュは口ごもりながら応じた。
「いいえ、今のは、どう考えてもスザクくんが悪いわ。女の子なんだから、そんなことを言ってはだめよ」
 女性が真剣な目で諭してくるので、首を縮める。騙していることに罪悪感があったし、もともと、こういうタイプには弱いのだ。どこか、母を思い出させるからかもしれない。
「す、すみません」
「あなたが謝ることじゃないのよ。…あ、眼鏡、ずれてるわ」
 セシルが気遣うように指摘する。ルルーシュは、慌ててかけ直す。
 鮮明になった視界の先に、薄色の髪に白衣という冷たい色彩の男が、漂うような足取りでこちらへやってくるのが見えた。
 瞬いたルルーシュの視線を追って、スザクが声を上げる。
「ロイドさん」
「なァにのんびりしてるんだい?」
 細い目の中で、蒼い瞳が、薄い氷が滑るように動く。二人の部下を素通りし、ルルーシュを見ないまま、空に向けられた。
「あーもー、やってらんないよぉ」
「どうしたんですか? あ、」
 ルルーシュの耳を気にして、スザクが言葉を飲み込む。彼には悪いが、ブリタニア軍の内実を探る機会を逃すつもりはない。ルルーシュはすました顔で、男の言葉に注意深く耳を澄ませた。
 男は彼の存在に、気を留める様子もない。こういう研究者タイプは、あまり人のことを気にかけない人間が多いのだ。いい鴨を見つけたと、内心で悦に入る。
「おめでとーぉ、外殻の値が本国で吊り上がってて、予算ダメ出しだって」
 どうやらこの二人は、スザクの上司のようだ。ということは、技術部、引いては、ナイトメアの開発に携わっているのだろう。よくすれば、あの、憎い白兜の情報も得られるかもしれない。そう思うと、気分が高揚するのを感じ、口の端に上る歪んだ笑みを隠すのに、ルルーシュはささやかに労力を割かなければならなかった。
「またですか? もう発注してしまってるのに…」
「いいよぉ、どうせ最終的には通されちゃうんだから。でなけりゃ、なんのためのスポンサーなのさ」
「スポンサーだなんて、そんな言い方は…」
「言い方なんて、あの人は気にしないって。ねぇ?」
 ロイドと呼ばれた男は、小馬鹿にするような笑みを浮かべ、肩をすくめてスザクに同意を求める。セシルは困った様子だ。スザクは、ルルーシュをちらりと見てから応じた。
「さあ、僕は、その人のこと知りませんから…」
 前に見た、上司に対する、軍人の畏まった言葉遣いではない。
 思っていたよりも睦まじい様子に、ルルーシュは眉を寄せる。スザクのためにはいいことなのだろうが、どことなく、疎外されているように感じた。話している内容に集中しようとするが、気が散る。
 舌打ちを飲み込むと、その不自然な肩の動きに、セシルが気づいた。慌てて会話を打ち切る。
「ロイドさん。こちらは、スザクくんのお友達だそうです。変なことしちゃだめですよ?」
 セシルがおっとりと紹介し、ルルーシュははっとして、俯き気味に頭を下げた。スザクの印象を悪くするわけにはいかない。いつの間にか開いていた足を、さりげなく閉じる。
 ロイドはそれを聞いて、眉を寄せた。
「仕事を置いて密会はいけないねぇ」
 スザクが何か答える前に、セシルが笑顔で彼を見つめた。心なしか、白衣が少しだけ、身を引いたようだ。
「ロイドさんがスザクくんを学校に行かせてあげないから、この子が心配するんです。…そうだ、名前を聞いていなかったわね」
「いえっ私は、…な、名乗るほどの者では、」
 セシルの穏やかな視線を受けて口ごもると、ロイドがはじめてこちらを見た。
 次の瞬間、ルルーシュよりもなお長身の、少し見上げる場所にある顔が、いきなり落ちてきた。一瞬で近づいた距離に息を呑むルルーシュの正面で、細いラインがたわむ。ほとんどが隠された目の奥に、薄いレンズを透過して、おもしろがるような光が見えた。
「――ねぇ、スザクくん。ルルーシュ殿下は、どうしてスカートなんか履いてるんだい?」

【ランダム2×3題 2-2 あり得ないこと・落とし穴】

右手の行方