お問い合わせ


南宗寺は加古川市の西北、加古川総合運動公園の西南に位置する
浄土真宗本願寺派(お西)のお寺です。
天文19(1550)年の開基以来、約470年に亘り、門信徒の皆さま・地域の皆様とともに
歩んできました。
今日まで様々な困難を乗り越えて現在まで続いております。
現代の世の中を取り巻く宗教的環境、社会的環境は決して良い方に向かっているとは言えませんが、
そんな中にこそお釈迦様が説かれた仏法、親鸞聖人の説かれたお念仏の教えをもっとひらかれたものにとの思いを込めてホームページを開設しました。
どうぞよろしくお願いします。

第16代 住職 月嶹教史

第16代 住職 月嶹教史

 南宗寺の由来


当寺の過去帳には以下のような記述があります。

抑當寺者天文十九庚戌暦草創釋教順開基也此教順師者本内藤隼人正申而武勇達人也然処天文十九年證如上人ニ致皈依法名教順ト給
「そもそも当寺の者、天文19年庚戌4月の草創釋教順の開基。教順はもと、内藤隼人正と申す武勇の達人なりとなる。
天文19年(本願寺)證如上人に帰依して法名を釋教順と賜った。」

従って、当南宗寺は天文19(1550)年、釋教順の開基です。
その後、寛文2年、釋教俊の時、本願寺良如上人より木仏寺号を授かっています。
寛政9(1797)年、2代目にあたる現在の本堂が建立されています。
平成12年から13年にかけては初めて本格的に内陣が修復されました。
現在の住職は釋教史、第16代にあたります。

 本堂


現在の本堂は2代目になります。最初は藁葺きの小さな建物だったそうですが、寛政9年(1797年)に再建されました。
最近では、平成12年から約1年をかけて内陣、余間等の修復が行われました。




 鐘楼


ご覧のように二階建てになっています。このような造りは大変珍しいそうです。ただ、二階に釣鐘があるため、撞くには少々手狭です。





 二河白道の庭


中国の善導大師(613年~681年)の書かれた「観経疏(かんぎょうしょ)」という書物に出てくる喩えをテーマに造ってみました。

 西に向かって旅を続ける一人の旅人がいました。その旅人の目の前にとうてい超えることの出来そうにない大きな河が迫ってきます。南側は燃えさかる火の河、北側は怒濤のように渦まく水の河。見るからに荒れ狂い、足を踏み入れる事すら出来そうにありません。にもかかわらず、後ろからは賊が追いかけて来て、今にも捕まって殺されそうである。他方へ逃げようとしても猛獣がいてどうしようもできません。切羽詰まって前方を見ると、火と水の河の間に5寸ほどの人間一人がやっと通れそうな白い道があり、向こうの岸まで続いている。但し、一歩でも踏み外そうものなら火と水の河の藻屑となってしまうであろう。旅人は
ためらうばかりであるが、そこに東の方から声が聞こえてきます。「大丈夫、怖れることなく、その白い道を進みなさい。死ぬことは
ありません。」河の向こう岸、西の方からも「一心にためらうことなく来なさい。私が必ず救ってみせよう。」と声が聞こえてきます。
 旅人は残された道がそれしかないことに気付き、脇目もふらず荒れ狂う二河の間のわずかな白い道を進み、無事に向こう岸につくこ
とが出来るという喩えです。
 私達は今、この世でまよっています。群賊や悪獣(悪や誘惑の譬え)に襲われようとする衆生(私達)が、西(極楽浄土の方向)に
向かって行くと、目前に火の河、水の河(人間のいかり・憎しみとこだわり・むさぼりの心の象徴)が現れる。その間にわずかに白道
(極楽往生を願う清浄な心)が対岸に向かってのびる。この娑婆の世の私達がお釈迦様の教え(東からの声)に励まされ、西の岸から
の阿弥陀如来のお導きによって迷うことなく白道をわたり極楽浄土をとげるということです。