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第三十三回 加古川宿界隈を歩くC
第三十四回 加古川宿界隈を歩くD
第三十五回 加古川宿界隈を歩くE

第三十四回:加古川宿界隈を歩く D ―赤壁大明神―

 加古川左岸の国道2号線西行きそばの春日神社内には、小さな祠(ほこら)の丸亀神社があります。壁が赤いことから「赤壁大明神」とも呼ばれ、恩義ある主人の仇打ちをしたという猫の話が、幾つかの講談「赤壁大明神の怪猫」として見えています。
 江戸時代の話です。加古川宿に住む油絞り職人・徳蔵は博打好きの独り身でした。寂しい毎日を過ごしている所へ迷い込んできた猫は、魔物と言われながらも話し相手として可愛がるようになりました。言葉こそ交わせないものの動作で表現してくれたのでしょう。
 暇なひとときであったのかも知れません。何気なく懐より取り出したさいころを壷へ出したり入れたりしていたときのことでした。目前の猫の眼がとても気になったのです。中にあるから見えないはずなのに、「丁」は両目を開けて「半」は片目を塞いで、すべて当ててしまうのでした。徳蔵はひらめきました。賭場へ連れて行きひと儲けをたくらんだのです。
 翌日、町はずれの辰五郎宅へ出かけ博打をはじめたのは言うまでもありません。さいころが壷に入るたびに猫の眼を一回一回覗き、確認しているあいだに全員の持ち金80両を巻き上げてしまったから大変、ほかの者にとっては面白くなかったのです。帰る途中には吉松、吉蔵兄弟に有り金と共に命も奪われ、川へ捨てられてしまったのです。
 下流で発見された徳蔵の亡き骸は自宅へ運ばれました。二人の若者が付いていると掛けていたはずの着物がめくれ、腕が交互に上下を始めたのです。気味悪くなり名主に告げると、逗留していた丸亀(香川県)の武士・吉岡儀左衛門も槍を持って一緒に掛けつけました。
 徳蔵に乗り移り操っていた猫に槍を投げると兄弟に刺さったのですが、二人は命が果てる前に金を奪い殺したことを白状したのです。猫が仕留められたときに血が白壁に飛んで赤く染まってしまいました。人々は哀れ悲しみ、仇打ちをした猫を葬り、祠を建てて祀ったのが「赤壁大明神」のはじまりといわれています。
 『加古川市誌@』によれば、丸亀神社はもともと本町字(あざ)北側にあったといい、壁が赤いのは「魚類は白色を嫌って魚が来ないので赤壁に……」とあります。当時の宿場は海岸線近くにあったのでしょうか。市誌には、大正8年4月16日に講談師・旭堂南陵が講談「加古川怪猫」を『娯楽世界』6月号に掲載とありますが、東京の毎夕新聞が「怪猫奇談 赤壁明神」を連載、5年前の同3年8月18日には坂本寅吉著作による『怪猫奇談 赤壁明神』前後編で東京の水野書店と慶文書店から発売しています。
 お話ですが、悪いことをすればやがては罰せられる、と言いたかったのかも知れません。
                       20130303 岡田 功(加古川史学会)



赤壁大明神