日岡山公園Fan            日岡山展望台より

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第一回 日岡と氷岡

第二回 鹿児
第一回:日岡と氷丘 (ひおかとひおか)

 むかし、むかしの話です。原野を走り回っていました一匹の鹿が「ひひ」と鳴いて丘へ登りましたので、その丘は「日岡」と名付けられましたーー。
 奈良時代に書かれました『播磨国風土記』の一場面を記したものです。ほかにも、いくつもの地名の起こりや地誌などを紹介していますが、あくまでも「伝説」なのです。それではこれから「歴史」を述べていくのですが、「日岡」の場所を知っていただくために、少し位置の説明をしておかなければなりません。

 「日岡山」の名称はよく聞いておられるで
しょう。標高60mは決して高い山ではありま
せんが、周囲が沖積平野にありますから3
kmほど南方の、JR山陽本線の高架を走る
車窓からでもくっきりと見えます。加古川駅
で加古川線に乗り換えて一つ目が日岡駅
になります。
 駅前を少し歩きますと道路数本が交わっ
ていますが、登り口は日岡神社をはじめ常
楽寺、公園と何箇所かあります。その内の
寺からを選ぶとして真っ直ぐ進みますと、
寺門横の少し急な坂道から200ばかりの石
段の先にある展望台へと辿り着きます。眼
下には多くの家が建ち並び、市内の南域
が見渡せるうえに、瀬戸内海の淡路島まで
もが望めます。


 古代という遠い昔、周囲はどのような姿であったのでしょうか。一帯は草木の覆い茂った丘であったのでしょうが、西のふもとを流れる川を現在は「加古川」と呼んでいます。風土記は「印南(いなみ)川」ではありますが、風土記と同じころに著されました『古事記』には「氷河(ひのかわ)」と見えています。つまり、この丘から名付けられたといえるのです。裏を返せば重要な地であったとは言えないでしょうか。
 何の理由かを見ました場合、「ひおか」「ひのかわ」の「ひ」は「火」の意味を持ち「のろし」の地点ではなかったかと考えられるからです。国の一大事件がありますと、今でこそ携帯電話やメールでどんなに遠方でもすぐに伝えられますが、古代には情報を発信する手段としましては火や煙を用いていました。その「ひ」の丘なのです。だからこそ、伝説という形で重要な丘の地名を朝廷(国)に対して報せようとしたのかも知れません。
 「ひおか」には駅名や山名とは漢字が違う、明治22年発足の「氷丘村」や同じく40年創立の「氷丘小学校」などに見られます「氷丘」は、『古事記』の「氷河」から命名されたといえます。地名の語源を調べる場合、漢字のみを基にするのではなく、ほとんどは読み方が大事なのです。
        
                          20100924 岡田 功(加古川史学会)